オロロンライン 旅路は北へ
ここからは少し詰めて、オロロンラインを一気に北上した記事にする。
更新頻度が低いくせに、ネタはどんどん溜まってしまっているからだ。
すでにこの道北旅行の後に2つの旅行ネタが溜まっている。
更新速度も挙げねば。
というわけで苫前から羽幌へ戻り、初山別まで移動した。
ここは「しょさんべつ天文台」。
みさき台公園から北を望む。
連休ということもあり、オートキャンプの客が結構いた。
天文台の前の店で牛乳アイスを購入。
やや粘り気のある甘いバニラだ。
初山別の次は遠別町だが、
残念ながら事前の軽い調査で目立つものがなかったためスルーとなった。
ここでオロロンラインが内陸側へカーブし、しれっと「天塩バイパス」という名前に変わってしまう(国道232号であることには変わらない)。
海側を走るためにはこれまでの国道232号を離れ、道道106号に乗らなければならない。
これがまたクセモノで、なんの案内もなく道が変わってしまっているのだ。
地図で言うと天塩中学校と左上の道の駅「てしお」に挟まれた交差点で左折し、天塩川にぶつかったら右折すれば良い(上図参照)。
筆者はiPhoneのナビで次の目的地に設定していたため、気がついたら曲がることが出来ていた。
ちょうど道の駅もあることだ。
休憩がてら、スタッフにこの先の行程を確認してみるのもいいだろう。
ちなみに天塩川を渡った先で海に面しているのは幌延町なので注意。
つまり天塩町はもう終わりである。
天塩川に沿って道なりに北上すると見えてくるのが、この「オトンルイ風力発電所」だ。
発電所と言っても建物があるわけではなく、約3kmに渡って風力発電のプロペラが設置されている。
苫前であれだけ圧倒されていたプロペラ。
しかもこの数が整然と並んでいる様は圧巻の一言である。
写真中央。
小さなフレンズが旅の行く末を見守ってくれていた。
ちなみに一帯は国立公園に指定されている。
ちなみに地図を見るとわかるが、この位置からだと礼文島はちょうど利尻島の後に隠れるような位置関係になっている。
そして日没が近い。
オトンルイからまた少し北上すると、北緯45°を表すモニュメントが登場する。
こちらは道の反対側の看板。
直線で220kmほど離れた札幌市がだいたい北緯43°あたりなので、わずか2°の差でこれだけの距離になる。
改めて、地球の大きさを感じさせてくれる。
ちなみにオトンルイのすぐ北からこの先12kmほどは海沿いの直線区間になる。
人工物も少ないため、晴れた日には絶好のドライブコースになることだろう。
※ちなみに日本一長い直線道路は美唄市~滝川市を結ぶ国道12号である。
全長は29.2kmという長大区間だ。
また少し先にはシェルターが見えてくる。
海沿いということで、冬期には暴風雪もあるのだろう。
中央部が膨らんだ、クロワッサンのような形をしている。
明るいトンネル、という不思議な印象だ。
正式名は「浜里パーキングシェルター」というらしい。
中央部がふくらんでいるのは、猛吹雪の際に車を待機させるスペースのためであろうか。
さあ、ここからは一度オロロンラインを離れて内陸へ向かう。
いきなり突然の大平原。
ここは北海道北部に広がるサロベツ原野。
動物注意の看板。
北海道内でもバリエーションがあるが、道外各地にも様々な種類があり、地域の特色が見えて面白い。
たまたまサロベツ湿原センターを発見。
残念ながら閉館。
別に裏手の湿原の方は立ち入り制限がされていないので、見るだけなら見れそうだった。
ただしまったく人気のないこの草地の中へ、たった一人でこの時間に入っていく気にはなれなかった。
まして、ここ至るまでに羆の恐ろしさを散々意識してきたのだから。
というわけで写真をまとめて上げるのみにする。
サロベツ湿原センターを抜けたあとは原野を見渡せるという「宮の台展望台」を目指した。
GoogleMapでたまたま見つけたので、せっかくだから寄ってみようと思ったのだ。
GoogleMapのナビに騙されているんじゃないかと思わせるような怪しい道へと誘われていく。
この脇道に入る前にも何の案内もないんだもの。
結果から言うとこの道で合っていた。
それにしても人を招き入れようという気概の感じられない展望台である。
駐車場に到着。当然誰もいない。
案内板によれば宮様が訪問された、ということで「宮の台」らしい。
なかなか由緒ある展望台だが、もう少し案内など整備したほうが良かったのでは?
展望室はガラス張りで、革張りのベンチなどもあって中々快適そうだ。
ベンチが手すりにロープで固定してあるのは、盗難防止のためだろうか。
さすが北海道の大原野。なかなか壮観な景色である。
遠くには件の利尻山が見えている。
展望台から見下ろした公園内。
ブランコの残骸のようなものはあったが、子供を連れてきて楽しめるという類の公園ではない。
さあ、これでオロロンラインを北上した記事を終えたいと思う。
この宮の台展望台は豊富町であり、次回はいよいよ稚内市へ突入する。
北海道最北にして日本最北の街であり、それだけに見どころは多い。
では次回の記事に期待されたい。
三毛別羆事件現地 日本最悪の獣害事件
いよいよ来た。
この旅行のメインイベントの一つ、三毛別羆事件の現場(への道程)。
前記事同様、事件については特に説明しない。
事件が発生した1915(大正4)年当時の地名は「北海道天塩国苫前郡苫前村大字力昼村三毛別御料農地6号新区画開拓部落六線沢」というらしい(wikipediaより)。
現在のところ、地名は行政的に消えたり残ったり、地元の人が呼んでたり、事件名で有名になったりとなかなかややこしい。
まあ長ったらしいので、『当時は「苫前村の三毛別の六線沢」で発生し、そこは現在「苫前町の三毛別の三渓」と呼ばれている』くらいの認識でいいと思う。
とにかく、見学目的で向かう場合は苫前町の「三渓」という場所を目指せばいい。
上の写真には「三渓」と「力昼」の地名が写っている。
力昼といえば、前記事のトドが打ち上げられた海岸ある場所だ。
事件の内容のせいか、あまり大々的に宣伝するつもりはないのかもしれない。
距離やクマ出没の可能性も考えると、現地へは最低でもバイクくらいは必要になりそうだ。
ベアーロードに入る最初のポイントさえ間違えなければ、道なりに現地まで向かうことが出来る。
道中の案内といえば、この「ベアーロード」という表示くらいしかない。
こんなに和やかな事件ではないのだが……。
現場へ近づくにつれてそれらしい単語が増えてくるが、カーナビやGoogleMapなどなんらかのナビゲーションがないと迷う可能性が強い。
日中であれば(わざわざ夜に行く人もいないとは思うが)道中の農家の方などに訪ねてみるのも手だろう。
筆者はカーナビ頼りだったが、なぜか現場を去る際に突然カーナビがお亡くなりになってしまった……。
道中は築別炭鉱に向かうときと、さほど景色が変わらない。
しかし所々に当時を偲ばせる地名や物件が残っている。
この写真は撮る位置を間違えているが、両サイドがワイヤーロープになっている場所は射止橋ではない。
その奥のピンクの欄干がある部分が正しい位置だ。
先程の写真の左奥に建っている倉庫。
ここで対岸に現れた羆を手負いにさせることができた。
この後、羆はマタギの手によって山中で射殺される。
ここで道中の案内をいくつかご覧いただこう。
「ようこそ熊嵐(くまあらし)へ」という、割と笑えない看板。
事件の別名らしく、本事件を扱った吉村昭氏の書籍名にもなっている。
ちなみにクマを殺した後に天候が急変することを「熊風(くまかぜ)」というらしい。
風とか嵐とか、パッと見ではややこしい。
ちなみに本事件の羆が射殺された後にも、突然の猛吹雪が吹きすさんだそうだ。
錆のせいか、おどろおどろしい羆の顔が来訪者を迎え入れる。
ベアーロードの可愛らしい看板(苫前町管理)もあれば、突然こういった恐ろしげな看板(北海道管理)も現れる。
数枚見てもらってお分かりだと思うが、案内板に統一性はほ皆無だ。
ベアーロードの看板くらいは似たようなデザインで何枚も貼り付けてあるが、三毛別事件を紹介したいのかどうか、意図が伝わりにくい。
いっそ北海道のブランド「熊出没注意」とコラボレーションしてしまうのも手だとは思うのだが。
道中、好天であるにも関わらず突然の雨。
「熊風」という言葉が頭をよぎる。
途中で三渓神社を発見。
他にも神社を見つけるたびに参拝したが、ここは少し特別かもしれない。
なぜならここには、三毛別事件の慰霊碑があるのだ。
本事件では胎児を含む7名が死亡、3名が重傷を負った。
獣害事件としては日本で最悪の被害をもたらしている。
施主として大きく名前が掘られているのは、事件当時に対策本部が置かれた大川与三吉
氏の息子である大川春義氏。
事件の影響でヒグマに対して強い復讐心を抱き、生涯で100頭以上を仕留め、北海道の獣害被害減少に貢献した伝説的な猟師である。
その一方で、仕留めた羆(当時は高価で取引された)を住民に無償で譲ったり、犠牲者のために慰霊碑を建立したり、「本当に悪いのは羆ではなく、自分たちの方ではないか?」と自問自答したり。
決して羆に対するシリアルキラーのような人間ではなく、義侠心に溢れた方だったようだ。
前記事の苫前資料館にあった「北海太郎」を仕留めたのは、この春義氏の息子である
高義氏であり、羆と闘い続けた一族なのかもしれない。
なお、春義氏は1985年の三毛別羆事件の70回忌の際に突然倒れて亡くなったという。
1977年に計102頭を仕留めたところで銃を置いたが、そのうち単独で仕留めたのは76頭である。
生年は1909(明治42)年(明治43説もあり)ということなので、一人で仕留めた羆と
同じ数の76まで生き、この世を去ったことになる。
ただの数字の偶然ではあるが、なんとも因縁深い話である。
二礼二拍手一礼。
これを覚えているだけでどこに行っても恥ずかしくない。
フレンチのマナーなんかよりよほど大切なことだ。
ついに舗装がなくなった。ここが現地への入り口だ。
残りは200メートルほど。
いよいよ現地が見えてきた。
現地到着。右手側は軽く駐車場のようになっている。
ありがたいことにすでに来訪者がいた。
配置はこんな感じ。
左下の砂利道から入ってくる。
目立つのは中央奥にある再現家屋くらい。
駐車場側から全体を見渡す。
バイクが停まっている辺りの左に、さきほどの砂利道が来ている。
出ました。
これがこの場所で一番の目玉(?)。
羆を再現した像である。
煽りで撮ると恐ろしさが増す。
サイズまで厳密に再現したかは不明だ。
なにやら修復中のようであった。
先輩、下半身弱いっすね。
家屋の入り口から左側を覗く。
内部は当時の暮らしぶりを再現してある。
右側の壁にはスタンプやパンフレットが置いてある。
未だにここが羆のテリトリーでありことを感じさせる警告文。
家屋裏手の斜面。
そのあたりからひょっこりと現れてきそうで背筋が寒くなる。
こんなふうにね。
他にも羆に引っかかれた木の肌などが残っていたようだが、再び雨も降り出してきたために撤退を余儀なくされた。
ここまで煽っておいてアレだが、実際の現場はここよりもう少し山奥だったり、もっと手前にあったりする(羆が複数箇所に現れたため)。
この場所は代表地点のような役割で整備されたのだ。
わざわざ何度となく訪れる場所ではないし、アクセスを考えると、もう訪れることはないかもしれない。
それでも北海道で生まれ育った人間として、一度くらいは訪れておきたい場所であった。
我々の生活は、本州以南に暮らす人々よりも一層、大自然と隣り合わせなのだ。
苫前町郷土資料館 小さな町の歴史と文化
仕事も忙しくなり、前回の記事から随分時間が経ってしまった。
やっと苫前町郷土資料館の記事を上げることが出来る。
築別・羽幌炭砿で時間を潰し、資料館に到着したのは午前11頃であった。
建物は年季が入っているが、それもそのはず。
もともと町役場として1928年に建てられ、1984年まで使われていたのだ。
新庁舎ができて以後は現在の資料館として運営されている。
入場料は、町外からの高校生・一般来訪者で300円。見ごたえは十分だ。
営業時間など、詳しいことは以下のリンクを参照。
玄関の扉を開けていきなりこれだ。
大きさは170センチくらいだろうか。
横から撮影。
玄関からの光を浴びてラインが浮かび上がる。
この熊は「渓谷の次郎」と呼ばれた6歳のオスで、昭和60年に仕留められた体重350kgの堂々たる体躯だ。
この剥製の後ろに受付があり、お金を払って内部を見学する。
写真などは自由に撮影してかまわないということであった。
建物は入り口を入って左右に展示場が広がる左右対称形だ。
これは建物正面向かって右側の展示場。主に苫前町の歴史と文化に関する展示がある。
そしてこちらが入って左側の展示場。
羆と「三毛別羆事件」に関する展示がまとめられている。
反対側の展示場と比べて展示物は少ないのに、この存在感である。
展示場の半分ほどが三毛別事件の再現セットに当てられている。
手前の鹿は事件とは関係ない。
セットの内部。
今まさに羆が壁を突き破って侵入せんとする様子が再現されている。
今や事件については各所で調べられており、書籍なども出ているのでここではあえて説明しないことにする。
いずれにせよ、こんな状況に出くわしたら人間に出来ることはほとんど無いと言っていいだろう。
こんなに恐ろしい現場を鹿が外から悠々と眺めている。
そしてこいつだ。
本資料館で最大の存在感を放つ、その名も「北海太郎」。
現在のところ、日本最大の羆とされている。
入り口の「渓谷の次郎」を優に超える体長2.43m、体重500kg。
18歳のオスだった。
幻の巨熊としてハンターに追われること実に8年。
羽幌町の山中で冬眠しているところを昭和55年に射止められた。
さきほどまで自分がいた築別にこいつがいたのである。
考えるだけでも恐ろしい。
カメラの設定を間違えていたとは口が裂けても言えない。
撮る角度によって表情が変わるのが興味深い。
下から煽ると口周りの凶暴さがにじみ出るのだが、正面から撮ると思いのほか愛嬌のある顔だ。
とはいえ、こんなやつに襲われたらひとたまりもないだろう。
よく「一番強い動物は何か?」というテーマが議論されることがあるが、筆者は羆がかなり有力だろうと踏んでいる。
牙も毒も使わずに腕力だけで相手を殺せて、体は大きく、その割に時速50km以上で走ることができ、実は木登りや急勾配の登り降りも得意とあっては、なかなか勝ち目のある動物はいないだろう。
なお、熊に襲われた際に現在最も有効だと考えられているのは、「目を逸らさずにゆっくり後ずさりする」ことだという。
ただし過去に、「この対処をしている途中で足を踏み外し、驚いた熊が襲い掛かってきた」という事例があるため、なんとも言えないと筆者は思う。
羆が人間に襲いかかる理由は主に「空腹」と「敵対」がある。
食べるためか、排除するためか、だ。
死んだふりは今となっては論外だそうだが、背中を見せて逃げたり、突然走り出したりするのもアウトだ。
要するに羆を驚かせたり興奮させるような振る舞いはほぼ全てNGということだ。
しばらく前に、海外の男性が自分に向かって突進してきた熊を大声で威嚇し、熊が慌てて森へと逃げていく、という動画が話題になった。
この方法が毎度必ずしも奏功するとは限らないが、最終手段程度に記憶しておくのもいいだろう。
結局のところ、「熊がいそうなところにはいかない」という予防手段が最高の対処法なのだ。
過去の羆事件の多くは、羆出没注意報が出ていたにも関わらず無視して山中に入り、その結果襲われるという自業自得的なものも多かった。
筆者は動物愛護団体のシンパではないが、振り返ると、「そもそもこの大地は羆たちのものだったのだな」という思いもある。
歴史や文明が発達し、筆者自身がその恩恵にあずかっている今、「自然をかつての姿に」などという非現実的考えは一切抱かないが、悲劇的な歴史を繰り返さないようにする責任は人間側にあるようにも思うのだ。
なお、万が一この記事で得た知識で羆関連のトラブルが起きても、筆者は一切責任を負えないのでそのつもりで。
どうしても山や森へ入らなければならないときは、専門家の意見を取り入れ、正しい装備と対処法で挑んでもらいたい。
建物は更に廊下で奥へとつながっている。
その途中にはかつての市長室があり、ここにも剥製などが展示してある。
万国旗と羆の剥製。
よくわからない取り合わせだ。
レトロと言いたいが、壁紙などボロボロになっていているのが気にかかる。
かつてはここで三毛別羆事件に関するビデオテープが流されていたらしいが、この日はやっていなかった。
やけに雑な位置に飾られた鹿の首。
右は多くの受賞盾。
廊下は奥へ伸びる。途中には古いタンスや棚が並べられている。
廊下を抜けたところ。
ちょっとしたホールが現れ、正面奥に展示場。
右前方の扉は開くような雰囲気ではなかった。
扉の更に右側には別の部屋があり。
ただし中はもぬけの殻。
外には「古代の里」という古い住居を展示した広場がある。
そこを見て回ることはなかったが、縄文文化の家、擦文文化の家、アイヌの伝統住居「チセ」などが復元展示されているそうだ。
こちらは奥の展示場。
あまり広くはないが、北海道の古代文化と発展に関する展示がある。
ひときわ存在感を放つのは中央のこれ。
横の説明板によると「獲物を狙う擦文人」ということだが、どう見てもトドに驚いて尻もちをついているようにしか見えない。
なお、このトドは1989年の夏に苫前町の力昼(りきびる)の海岸に打ち上げられたものらしい。
築別炭砿の記事に出てくる「太陽小学校」に関連するが、廃墟探索写真の中にこれと同じような剥製が写っているのを見たことがある。
もしやと思って確認してみたが、顔の向きや表情が違っていたため、別の剥製だったようだ。
一方は町の資料館で人目に触れ、いま一方は廃墟の中で朽ちていくのであった。
現地訪問の前に軽く立ち寄ってみた、町の小さな資料館。
そこには発展してきた北海道の歴史の光と影が記録されていた。
都市部からのアクセスはなかなか大変な場所だが、入館料も安く見ごたえは充分なので、ぜひ一度は訪れてもらいたい場所だ。
次回は三毛別事件の現地訪問記事となるが、仕事が忙しいためいつのアップになるかまったく不明である。
すでに半年以上前の旅行記であるため、できるだけ急ぎたいとは思っている。
ぜひご期待いただきたい。
ではまた、次の記事で。
*1:2016.6.13追記
「栃木県佐野市の山中で登山者の男性が熊に襲われるも、14時間かけて自力で下山し生還する」という事件が発生した。
男性へのインタビュー映像によると、「背中を見せないよう後ずさりしていたが、つまづいてしまい、その拍子に襲いかかられた」ということだった。
再び同じような事例が発生してしまったが、本州ということでおそらくツキノワグマと思われ、それが不幸中の幸いだったかもしれない。
なお、熊鈴は着けていたという。
やはり根本的に逃げることは叶わないので、「刺激しないようじっとしている」、「荷物を取られそうになったら大人しく渡す」、「熊が去るのを待つ」という受動的防衛がベターだろう。
最近では「熊よけスプレー」という強力なツールも出てきている。
唐辛子に含まれる成分・カプサイシンのパワーを増幅させた噴射液で、(商品にもよるが)人間に当たると失明や猛烈な激痛を引き起こすという、かなりな取扱危険物だ。
特に海外製(ほとんど海外製だが)はグリズリーなどの大型野生動物を撃退するために作られているため、より危険である。
有効な能動的防衛策にはなるが、噴射時間が短い、射程が短い、風向きによっては自分が食らう、といった扱いづらさもあるため、一般人が護身用気分で持ち歩ける代物ではないかもしれない。
なにより恐ろしいのは、一部でこれを「催涙スプレー」代わりに携帯しているものが居るということ(鎮圧どころか殺しかねないパワーがある)。
逆にツキノワグマやイノシシのような野生動物ならば、一部の対人用催涙スプレーでも撃退できるらしい。
……といっても確約はできないので、やはり必要がなければ森には入らないのが一番である。