稚内公園 望郷の慰霊展望台
翌朝に向けて眠りにつくにはまだ時間があったため、ダメ元ではあるが稚内公園に向かうことにした。
ちなみに翌日に再訪しているため、写真は昼だったり夜だったり見やすいものを使っている。
夜間手持ち撮影なので画が荒いものがあるが、ご了承いただきたい。
高台にある公園へ至る坂道はちょっとわかりづらいところにある。
まあ案内板に注意していけばなんとかなるだろう。
百年記念塔や展望台などを含めて「稚内公園」のようだ。
市営施設にしては珍しく午後九時まで営業。
夜景を楽しめることを考えてのことだろうか。
それがまさかあのようなことになろうとは……。
坂道は途中で丁字路にぶつかって2つに分かれている。
一方通行なので左に行くしかないが、右の道はグルっと回って展望台から出てくるだけの話だ。
が、このあと道を間違えて展望台へと向かってしまう。
事前調査が重要だ。
展望台に到着。実際はもっと暗い。
土産物店などは当然閉店。
日中なら結構人がいる。
アイスが美味。
展望台からの街の風景。
写真左側の一番大きい建物、その手前のあたりに日本最北にして終点のJR稚内駅がある。
そこにもあとで行く。
さきほどの写真の左端に見えた堤防。
碇泊している白い船の左側をよく見るとトンネルのようなものが見える。
あそこは「北防波堤ドーム」。
稚内の観光名所の一つだが、あそこにも後ほど訪れる。
暗闇の展望台で唯一ライトアップされていた「氷雪の門」。
樺太島民慰霊碑として地元の樺太出身者たちにより建立されたもので、中央の像は1963(昭和38)年に彫刻家の本郷新により製作された。
中央の女性像について、「顔は戦争の苦しみ」を、「手は故郷も家族も失ったこと」を、「足はその悲しみや苦しみから立ち上がる」ことを示しているとされる。
樺太で亡くなったすべての日本人のための慰霊碑だとのこと。
天気のいい日には像の背後に樺太(サハリン)が望めるとのこと。
この日は残念ながらよくわからなかった。
実は筆者の祖父は樺太の出身で、幼少の頃にソ連軍の侵攻によって命からがら北海道へと引き揚げてきたという経歴の持ち主だった。
筆者にとっては「単に日本最北を目指す」というだけではなく、ある意味で自分のルーツに近づくということが今回の旅の目的の一つでもあった。
文字通り「着の身着のまま」逃げ延びた北海道で、人の親切心や食べ物のありがたさをよく実感していたようだ。
まったくの「ゼロ」から身を興して家を築いた祖父は、筆者が歴史上で最も尊敬する人物だ。
先見性に優れ、義侠心にあふれていたそんな祖父は数年前に亡くなったが、「ソ連が憎い」とか「樺太が恋しい」とか、そんな言葉は一切聞いたことがなかった。
ただひたすらに家族のため、人のために働き続け、80余年の生涯を全うしたのだった。
こちらは展望台から東を向いた写真。
本当の日本最北端、宗谷岬を一望する。
こちらは有名な「九人の乙女の像」。
とはいえ、自分を含めもう知る世代も少ないかもしれない。
1945(昭和20)年8月20日、ソ連軍が樺太の真岡(まおか)へ侵攻。
業務で真岡郵便局に残っていた女性電話交換手12名のうち9名が青酸カリなどを用いて自決、殉職した。
いわゆる「真岡郵便局事件」。
「北のひめゆり」とも呼ばれ、後に映画化もされた。
そんな彼女らを偲んで建立されたのがこの「九人の乙女の像」だ。
碑には端的に書いてあるが、実際の最期の言葉は少し違う。
以下に稚内市HP観光情報「『九人(くにん)の乙女』の物語」より一部を引用する。
同じ樺太にある泊居郵便局長は、当日の状況をこう話しています。
「午前6時30分頃、渡辺照さんが、『今、皆で自決します』と知らせてきたので『死んではいけない。絶対毒を飲んではいけない。生きるんだ。白いものはないか、手拭いでもいい、白い布を入口に出しておくんだ』と繰り返し説いたが及ばなかった。 ひときわ激しい銃砲声の中で、やっと『高石さんはもう死んでしまいました。交換台にも弾丸が飛んできた。もうどうにもなりません。局長さん、みなさん…、さようなら長くお世話になりました。おたっしゃで…。さようなら』という渡辺さんの声が聞き取れた。自分と居合わせた交換手達は声を上げて泣いた。誰かが、真岡と渡辺さんの名を呼んだが二度と応答はなかった」と語っています。
引用ココマデ。
職に殉じた敬うべき人々の最期の模様だが、こういった人々のことを学校で教えてもらえなかったのは何故だろうか。
1968(昭和43)年には昭和天皇と香淳皇后がこの地を訪れ、のちに御製と御歌と詠んでいる。
他には南極観測で活躍した樺太犬たちの慰霊碑などもある。
かつては麓から伸びる「稚内公園ロープウェイ」があったというが、訪問時よりちょうど10年前の2006年3月いっぱいで廃止されたという。
乗車時間二分程度。日本最北にして日本最短のロープウェイだったらしいが、現在は何の痕跡も残っていないようだ。
百年記念塔の少し下の斜面にはスキー場リフトもあったようだが、こちらも2006年に廃止されて何も残っていない。
百年記念塔と一緒の記事にしようかと思ったが、長くなりそうなので次回に回すことにする。
かつて日本であった近くて遠い大地に思いを馳せ、天候に恵まれた日にはその目で見ることが出来る稚内公園に、ぜひ皆さんも足を運んでみてはいかがだろうか。
もう一つの北端 ノシャップ岬
いよいよ日本最北端の町、稚内市へと足を進める。
まず最初に訪れるのは日本の北端の一つ、ノシャップ岬である。
最北端ではなく、あくまでも「北端」だ。
位置関係を見てみよう。
恒例のGoogleMap。稚内市の北部を拡大したものだ。
左の半島の先が、件のノシャップ岬である。
右上に伸びているの半島の先が、日本の『最』北端である宗谷岬だ。
市内の道路標識には日本語・英語・ロシア語の表記がある。
宗谷海峡を挟んでわずか40km先には、ロシアが実効支配している(国際法上はどこにも帰属していない)サハリン(樺太)がある。
フェリー便も出ているということで、歴史的な背景は別として、距離による関わりが強いのだろう。
市内から台地の上に見える「稚内市開基百年記念塔」(右側)。
霧の中でライトアップされ、サイリウムのように光っている。
ここは次か、その次の記事で紹介する。
ちなみに日本最北のコンビニエンスストアはこちらの「セイコーマート えびす店」。
北海道外の方には馴染みがないかもしれない(茨城と埼玉には進出しているらしい)が、北海道で最強と言ってもいいコンビニである。
※国内コンビニ顧客満足度ランキングは2011年から4年連続1位だそうだ。
小規模なスーパーのような品揃えで、野菜なども売っている。
また、店内調理施設「ホットシェフ」の満足度が非常に高い。
揚げ物や丼モノを始めとした温かいメニューが保温ガラスケースの中に作り置きしてあり、客はそこから好きな商品を取り出してレジで会計する。
筆者のオススメはフライドチキン。
味・量ともによし。なのに300円でお釣りが来る。
ぜひ道外の方が北海道にお越しの際は、セイコーマートを利用してほしい。
あえて苦言を呈するなら、「24時間営業の店舗が少ない」ということ。
そして、「どの店舗にもホットシェフが存在するわけではない」ということ。
夜中に小腹がすいたから近くのセイコーマートに行ったらホットシェフが無かった……というか店自体やってなかった、ということがままあるのだ。
そして到着したノシャップ岬。
中央のイルカのモニュメントは「宗谷海峡をイルカが通過した」という伝承に基づくらしい。
実際はもっと暗かったので、露光時間を上げてみた。
これは上げすぎて昼間のような明るさに。
カタカナで表記されることが多いが、漢字の「野寒布岬」という表記もある。
ちなみに北海道の最東端である根室の岬は「納沙布岬(ノサップ岬)」と、非常に似た名前をしている。
どちらかの岬に行きたくて道を尋ねるときには注意しよう。
間違って約400km離れた別の場所に案内されてしまうかもしれない。
宗谷海峡の夕景色。
いくぶん風が強い。
ノシャップ寒流水族館の灯台。
となりには稚内市青少年科学館がある。
短いが、これでノシャップ岬の記事は終わり。
次は先程の「開基百年記念塔」のある稚内公園の記事か、別の稚内市内の記事をあげようと考えている。
また、今まさにゴールデンウィークの旅の出発の直前にこの記事を書いており、またしても新しい記事ネタが溜まってしまうことになる……。
さらに更新頻度をあげていかなくては。
ではまた次回の記事で。
オロロンライン 旅路は北へ
ここからは少し詰めて、オロロンラインを一気に北上した記事にする。
更新頻度が低いくせに、ネタはどんどん溜まってしまっているからだ。
すでにこの道北旅行の後に2つの旅行ネタが溜まっている。
更新速度も挙げねば。
というわけで苫前から羽幌へ戻り、初山別まで移動した。
ここは「しょさんべつ天文台」。
みさき台公園から北を望む。
連休ということもあり、オートキャンプの客が結構いた。
天文台の前の店で牛乳アイスを購入。
やや粘り気のある甘いバニラだ。
初山別の次は遠別町だが、
残念ながら事前の軽い調査で目立つものがなかったためスルーとなった。
ここでオロロンラインが内陸側へカーブし、しれっと「天塩バイパス」という名前に変わってしまう(国道232号であることには変わらない)。
海側を走るためにはこれまでの国道232号を離れ、道道106号に乗らなければならない。
これがまたクセモノで、なんの案内もなく道が変わってしまっているのだ。
地図で言うと天塩中学校と左上の道の駅「てしお」に挟まれた交差点で左折し、天塩川にぶつかったら右折すれば良い(上図参照)。
筆者はiPhoneのナビで次の目的地に設定していたため、気がついたら曲がることが出来ていた。
ちょうど道の駅もあることだ。
休憩がてら、スタッフにこの先の行程を確認してみるのもいいだろう。
ちなみに天塩川を渡った先で海に面しているのは幌延町なので注意。
つまり天塩町はもう終わりである。
天塩川に沿って道なりに北上すると見えてくるのが、この「オトンルイ風力発電所」だ。
発電所と言っても建物があるわけではなく、約3kmに渡って風力発電のプロペラが設置されている。
苫前であれだけ圧倒されていたプロペラ。
しかもこの数が整然と並んでいる様は圧巻の一言である。
写真中央。
小さなフレンズが旅の行く末を見守ってくれていた。
ちなみに一帯は国立公園に指定されている。
ちなみに地図を見るとわかるが、この位置からだと礼文島はちょうど利尻島の後に隠れるような位置関係になっている。
そして日没が近い。
オトンルイからまた少し北上すると、北緯45°を表すモニュメントが登場する。
こちらは道の反対側の看板。
直線で220kmほど離れた札幌市がだいたい北緯43°あたりなので、わずか2°の差でこれだけの距離になる。
改めて、地球の大きさを感じさせてくれる。
ちなみにオトンルイのすぐ北からこの先12kmほどは海沿いの直線区間になる。
人工物も少ないため、晴れた日には絶好のドライブコースになることだろう。
※ちなみに日本一長い直線道路は美唄市~滝川市を結ぶ国道12号である。
全長は29.2kmという長大区間だ。
また少し先にはシェルターが見えてくる。
海沿いということで、冬期には暴風雪もあるのだろう。
中央部が膨らんだ、クロワッサンのような形をしている。
明るいトンネル、という不思議な印象だ。
正式名は「浜里パーキングシェルター」というらしい。
中央部がふくらんでいるのは、猛吹雪の際に車を待機させるスペースのためであろうか。
さあ、ここからは一度オロロンラインを離れて内陸へ向かう。
いきなり突然の大平原。
ここは北海道北部に広がるサロベツ原野。
動物注意の看板。
北海道内でもバリエーションがあるが、道外各地にも様々な種類があり、地域の特色が見えて面白い。
たまたまサロベツ湿原センターを発見。
残念ながら閉館。
別に裏手の湿原の方は立ち入り制限がされていないので、見るだけなら見れそうだった。
ただしまったく人気のないこの草地の中へ、たった一人でこの時間に入っていく気にはなれなかった。
まして、ここ至るまでに羆の恐ろしさを散々意識してきたのだから。
というわけで写真をまとめて上げるのみにする。
サロベツ湿原センターを抜けたあとは原野を見渡せるという「宮の台展望台」を目指した。
GoogleMapでたまたま見つけたので、せっかくだから寄ってみようと思ったのだ。
GoogleMapのナビに騙されているんじゃないかと思わせるような怪しい道へと誘われていく。
この脇道に入る前にも何の案内もないんだもの。
結果から言うとこの道で合っていた。
それにしても人を招き入れようという気概の感じられない展望台である。
駐車場に到着。当然誰もいない。
案内板によれば宮様が訪問された、ということで「宮の台」らしい。
なかなか由緒ある展望台だが、もう少し案内など整備したほうが良かったのでは?
展望室はガラス張りで、革張りのベンチなどもあって中々快適そうだ。
ベンチが手すりにロープで固定してあるのは、盗難防止のためだろうか。
さすが北海道の大原野。なかなか壮観な景色である。
遠くには件の利尻山が見えている。
展望台から見下ろした公園内。
ブランコの残骸のようなものはあったが、子供を連れてきて楽しめるという類の公園ではない。
さあ、これでオロロンラインを北上した記事を終えたいと思う。
この宮の台展望台は豊富町であり、次回はいよいよ稚内市へ突入する。
北海道最北にして日本最北の街であり、それだけに見どころは多い。
では次回の記事に期待されたい。