週刊 日本を歩く

管理人が日本で見つけた物をフリージャンルで紹介します。 「週刊」と銘打ってはいますが、更新頻度はまちまちです。 日毎もあれば月毎になることもあります。 なにはともあれ、お付き合いください。

宗谷岬 日本最北端の地

稚内駅前で車中泊を敢行したものの、件の騒ぎと車の狭さもあって眠りは浅く。

うたた寝と起床を繰り返したため、翌朝はいっそ早起き(?)して、昇る太陽を宗谷岬から拝むことを計画。

 

当日の日の出は午前4時頃だったと記憶している。

JR稚内駅から宗谷岬までは30.6km。車で36分(グーグルナビ調べ)。

途中、道路を進軍する鹿の群れと遭遇したりしたが、30分もかかった印象はない。

あるいは眠気が感覚を麻痺させたのだろうか。

 

ちなみに結論から言うとお天道さまは拝めなかった。

なにせ曇ってたもので。

日昇後も数時間は太陽の姿を見なかったと思う。

 

 

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またしてもカメラの設定ミスでピンぼけという無能っぷりを披露しつつ、サルベージに成功した写真をいくつか挙げてゆく。

 

なかなか傷んだ地図だが、右上の突端が宗谷岬

厳密に言うと地学的な「岬」ではなく、ただ海岸線がカーブして張り出しているだけだという。

 

 

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いきなりで申し訳ないが、ここが日本最北端の地、宗谷岬の碑だ。

 

 

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樺太探検で有名な間宮林蔵の像が建てられている。

彼は1808(文化5)年からの樺太探検で、樺太が半島ではなく島であることを発見。

現在は間宮海峡にその名を残している。

 

なお、この海峡は世界的には「タタール海峡」と呼ばれており、日本でもたまに「タタール海峡」や「ダッタン海峡」と表記されることがある。

鳥羽一郎の歌謡曲「韃靼海峡(だったんかいきょう、タタールの中国語表記)」とはこの海峡のことだ。

 

ちなみにタルタルステーキの「タルタル」も同じ語源らしい。

 

 

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宗谷岬周辺の海は比較的遠くまで遠浅になっている。

 

 

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間宮林蔵宗谷海峡の向こうにある樺太の地を見据えている。

なお当日は天気が悪くて見えなかった模様。

 

また衝撃的な事実だが、この岬から西北西の沖合に「弁天島」という本当の最北の地(島)があるという。

グーグルマップにも白い大きな岩礁として写っているが、民間人が気軽に上陸できるような場所ではないため、この宗谷岬が実質的な最北端となっているようだ。

 

 

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宗谷岬側の半島の海岸線はほとんど、海の際まで宗谷丘陵が迫ってきている。

ノシャップ岬側の半島には市街地や農地といった平地が多いように見受けられる。

 

 

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まったく岬周辺の雰囲気が伝わらず歯がゆい写真ばかりである。

宗谷岬の碑の向かい側も、道路を一本挟んですぐに丘陵が迫ってきている。

まあグーグルストリートビューでみれr

 

 

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岬周辺は何もないわけではなく、ガソリンスタンドもある。

というか港があり、住宅も建っている。

 

最北のGSとはいえ、おもったほど高くはない印象。

さすが国岡商店だ。

※ここで給油すると「最北端給油証明書」なるものがもらえるらしいが、筆者はあいにく他所で給油したばかりであった。

 

 

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丘陵の上から見た宗谷港の様子。

左下に写っているのがさっきのガソリンスタンドだ。

 

宗谷岬の碑があるところを北端に、半島の海岸沿いを南東に向かって街が伸びている。

住所は「北海道稚内市宗谷岬◯番地◯」と表記するらしい。

 

 

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パノラマ写真ではないが、碑のある辺りを背にするとこんな景色。

北から順に碑、駐車場、道路、丘陵という並びである。

左の写真の右側に写っている、白い四角い建物の前の坂から宗谷岬公園に上がることが出来る。

 

 

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建物前の案内板。

公園には記念碑が多い。

 

 

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坂を登っていくと、稜線にシシ◯様よろしく鹿が出迎えてくれる。

 

 

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この旅ではキツネを見なかったが、普段の生活では鹿よりもキツネのほうが出会いやすい気がする。あとリス。タヌキ。

 

 

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登って最初に目に入るのはこの廃墟。

というより、これを目当てに個々に来たフシがある。

 

 

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以前は上に登れたようだが、この時は柵で封鎖。

 

 

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これは大岬旧海軍望楼跡。

かつて帝国海軍が対ロシア用に建造した監視所である。

1875(明治8)年の樺太千島交換条約で宗谷海峡が国境となったため、1902(明治35)年に建造された。

 

1968(昭和43年)に稚内市有形文化財に指定され、市内に残る唯一の明治期建造物だという。

 

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今では鹿の群れが訪問者を監視している。

 

 

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この複数の小窓から宗谷海峡を睨んでいたらしい。

なお現在は板のようなもので封鎖されている。

 

 

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形状を見るに、かつてはこの後ろ側にも建物が続いていたのだろう。

ネットで往時の姿を探してみたが、見つからなかった。

 

 

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「平和」や「海」に関する石碑がいくつも設置されている。

 

 

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中でも一番目を引くのがこのツルのようなオブジェ。かなり大きい。

 

 

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これは1983(昭和58)年9月1日に発生した大韓航空機撃墜事件の慰霊碑「祈りの塔」だ。

事件の二周忌である1985(昭和60)年の同日に建立され、折り鶴のように曲がった先端は撃墜現場(モネロン島)方向を指している。

台座の16枚の羽が犠牲者の国籍数を、張り石の御影石269枚は犠牲者の数を表している。

 

 

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大岬中学校跡地の碑と祈りの塔。

海軍望楼の名前からも察するに、宗谷岬はかつて「大岬」とも呼ばれていたようだ。

 

 

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見づらいが、大きく「世界平和」と象られた花壇。

花が咲くともっと見やすくなるのかもしれない。

 

奥には風車小屋もあり、丘陵の酪農風景の一端を担っている。

 

 

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日本最北の灯台、「宗谷岬灯台」。

ちなみにノシャップ岬にあった高い灯台は「稚内灯台」という。

 

 

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最後はまた下に降り、道路脇の宗谷岬神社でお参り。

えらくキレイな社だが、こういうのは気持ちの問題なので。

二礼二拍手一礼。ぜひ覚えよう。

 

 

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次回の記事ではあの風車の奥に広がる宗谷丘陵へ足を踏み入れる。

※いったん車に戻って別ルートから進入。

 

道北旅行記事も、(予定では)残すところあと2回だ。

相変わらずのスローペースではあるが、ぜひ最後までお付き合い願いたい。

 

稚内駅と北防波堤ドーム 終りと始まりの地

この日は稚内駅前で車中泊をすることに。

数百台(?)と思われる車が駐車しており、多くの人が同じような方法で電車やフェリーの始発を待っていると考えられる。

 

夜中に地元の若者が来て、駐車場の中央あたりで乱痴気騒ぎを起こして帰っていった。

他に娯楽がないのかもしれないが、寝静まる人々の中での花火や大音響BGMは本当に迷惑である。

 

 

眠りにつく前に、周辺の見所として稚内駅と北防波堤ドームを見学。

例に漏れず、翌日の朝写真と混ぜ合わせてお送りする。

 

 

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こちらが日本最北の駅、JR稚内駅。

写真を見てわかるように、道の駅が併設されている。

 

 

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時間も時間なので交通量はほとんどゼロ。

 

 

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左の写真にも少し写っているが、この看板の右側に大きな駐車場がある。

右の写真は駅構内。

 

 

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2階には映画館が併設されている。

 

 

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そして何と言っても、稚内駅といえばJRの終点(あるいは始点?)。

 

 

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一つ前の写真に写っていた看板の背後のコンクリートブロックが、この写真の中央に写っているコンクリートブロックだ。

 

 

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ここがまさに端部。

ここから鹿児島の南端まで線路が続いてるのかと考えると、ちょっとした感動である。

 

 

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ホームにも、北端を示す宣伝がある。

 

 

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札幌までは特急自由席+乗車券で9,930円。

新千歳空港までで同10,390円。

 

グーグルマップでルート(稚内→新千歳)を調べると、電車では「8時間強で8,000円弱」となっていた。

時期やルートによって多少は変動するだろうか。

 

また、稚内にも小さいが空港があり(後に行く)、同じくグーグルマップの空路では「55分で44,000円~」となっていた。

 

なお、車でまっすぐだと5時間半(370km)程度らしい。

 

 

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なお線路はあそこで途切れているが、駅構内にはレール(本物?)が入り口の方まで続いている。

 

 

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こちらが入り口側。

建物の中から伸びてきている。

 

 

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これが駅のすぐ前の終端部。

もしかしたらかつてはここまで伸びていて、現在は記念碑的な位置づけなのかもしれない。

 

……というか、もっと言うと、まだ線路の跡らしきものが続いている。

写真のレールの奥に線が伸びているのがわかるだろうか。

 

 

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やはり伸びている。

 

 

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片方は草地にぶつかって途切れているが、右側はまだ奥へと続いてる。

 

 

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やっと道路にぶつかって終了した。

ある意味ではここが線路の本当の終端部かもしれない。

 

奥には件の駐車場の一部が見えている。

 

 

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ちなみに駅前の黄色い終端部から先は、このようなブロック(もしくはタイル)でレールを象っているだけだ。

 

デザインととしてこんなところまで中途半端に伸ばすとは思えないので、やはりかつてはここまでレールが来ていたと考えるのが自然だろう。

 

 

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駅周辺の地図。

赤丸が付いている「現在位置」から少し右側に行った、縦の道路とぶつかっているところが、さきほどの「タイルレール」の終端。

 

※この謎の延長線路については下の方で判明します。

 

 

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駅のすぐ横には海鮮レストラン兼市場がある。

 

 

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1階は市場。

新鮮な魚介や果物が手に入る(郵送も可)。

 

 

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そしてこちらが北海道では有名な「熊出没注意」というブランド。

キーホルダーにステッカー、灰皿やマグカップなど実用品を取り揃えている。

 

大きめの土産物コーナーがあるところならだいたい取り扱っており、このご時世なら通信販売での入手も可能だ。

 

三毛別はこれとコラボして町おこしをしたりしないのだろうか。

……扱うにはブラックすぎるか?

 

ちなみにこのブランド、中国人観光客に大ウケとのこと。

日本語ではバラバラにすると「熊、出没、注意」だが、中国語では「熊出、没注意」と読めて「不慣れな運転手が運転しています。注意してください」という解釈ができるからだそうだ。

向こうには車に貼る若葉マークに相当するステッカーがないため、代わりに使われているそうだ。

同じ漢字文化圏だからこそ使えるインターナショナルなジョークグッズだ。

 

 

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続いては北防波堤ドーム。

こちらの写真は駅前駐車場から撮影しており、駅との距離がかなり近いことがわかる。

実際、駅から歩いて5分程度だ。

 

こちらの記事にも登場した、

土木学会選奨土木遺産」に選定され、北海道遺産にも認定されている。

 

 

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これは何かと言うと、いわゆる防波堤だ。

1931年から5年の歳月をかけて構築され、70本のクラシカルな柱と長いドームで構成された全長427mの堂々たる大型防波堤である。

 

それで何か残っているのか?と問われれば、特に何もないというのが答えだ。

もともと稚内樺太の大泊を結ぶ「稚泊連絡船(ちはくれんらくせん、1923~1945)」の乗客を波から守るための施設であり、言ってみれば単なる「壁」である。

 

しかしながらその造りは重厚かつエレガントで、コンクリート製でありながらデザインと機能の両立を図っていた昭和初期の建築様式が垣間見えている。

 

 

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設計は北海道大学出身で、当時北海道庁の技師であった土谷実(1904~1997)。

ドームの設計年は昭和6(1931)年ということで、弱冠26歳(なんと現在の筆者と同年齢)でこの重厚な建築物を手掛けたということがわかる。

しかもたった二ヶ月で強度計算から図面までを終わらせたという。

 

う~ん、昔の人はすごい(などとは言っていられないが)。

 

ちなみにデザインのスケッチ(ラフ画程度?)は土谷の上司であった平尾俊雄(東京帝国大学卒、当時「網走築港事務所長兼稚内築港事務所長」)が描いたもので、それを具体化したのが土谷の仕事だったため、土谷自身、後年「あれは平尾・土谷の合作」と述懐しているという。

 

 

そしてこのドームについて、一つ前の記事を思い出してもらいたい。

↑この記念館で見た当時の写真。

 

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この左下の写真、ドームの前に建物が建っているのが見えるだろうか。

 

実は当時、このドームの前には「稚内桟橋駅」という駅が存在し、稚内駅から線路を引いていたというのだ。

稚泊連絡船の乗客たちは稚内駅から列車で直接ここまで来て、ドームの下を歩いて船に乗り込んでいった。

 

つまり駅前で見た謎の延長線路の跡は、稚内駅と稚内桟橋駅を結ぶための線路だったのだ。

なお、終戦とともに稚泊連絡船も稚内桟橋駅も消滅した。

 

 

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現在、防波堤の前はただの道路になっている。

 

 

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ドーム横には階段があり、堤防の上から海を望むことが出来る。

 

 

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階段から見た駅の方向。

見づらいが、写真中央の真っ白い四角が駅構内の明かりだ。

 

あの辺りから写真左手方向にあった稚内桟橋駅まで線路が来ていたのだろう。

 

 

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せっかくなので、当時に思いを馳せながら一番奥まで行ってみることにした。

 

何事も「端部」が気になってしまうのは性分なのだ。

これはタモリさんの「縁(へり)好き」と似ているかもしれない。

 

 

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桟橋の先の方には海上保安庁のいわみ型巡視船「れぶん」が碇泊していた。

2014年に竣工し、2016年に稚内(第一管区)に配属された新鋭の巡視船だ。

 

なおこの写真撮影時は7月ごろだが、2ヶ月後の9月26日に同じく第一管区の室蘭に転属になったという。

 

 

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ドームの造りは最後までずっと同じだったが、最後はコンクリート壁で塞がれていた。

 

もう一度当時の写真を見てみよう。

 

 

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ちょうどフェリーが停まっているのが巡視船「れぶん」と同じ位置だ。

 

こちらは桟橋の先の方から振り返る形で写真を撮っており、ドームの終端が当時は塞がれていなかった事がわかる。

 

なお、現在は写真中のフェリーとドームの間の岸壁の所に柵が設けられており、この位置から撮影を行うことは不可能に近い。

 

 

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その柵がこちら。

左にドーム、右側に巡視船「れぶん」がいる。

 

 

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柵から当時の撮影場所方向を望む。

岸壁自体は今も残っているので、柵を乗り越えて際を歩いていけば当時の撮影場所に行けなくはないが、かなり危険なのでやめておく。

 

 

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巡視船の前にはかつて宗谷本線で活躍していたC55形蒸気機関車の転輪が飾られている。

以前は機関車自体が静態保存されていたそうだが、塩害腐食のために(そりゃそうだ)1996年に解体されてしまったという。

どうして日本の屋外展示はいつもこうなるのか。

 

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さて、ノシャップ岬側の観光記事はこれで終了となる。

 

次回はいよいよ真の日本最北端、「宗谷岬」へと向かう。

※実際の時間的には、ノシャップ方面の朝写真より前(早朝)に行っている。

 

道北旅行記事も残すところ2,3記事程度となる。

相変わらずの牛歩更新となるが、最後まで是非お付き合い頂きたい。

 

 

開基百年記念塔&北方記念館 最北の幻想空間

さて、いよいよ「稚内市開基百年記念塔」へ向かう。

 

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稚内市はもともと1879年に宗谷村が設置されたことに端を発している。

市となったのは1949年で、開基百年&市制30年を記念して1978年に塔が建設された。

 

つまり、もうすぐ築40年となるのだ。

 

 

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見よ、この神々しさを。

日本最北の高層建築物、ということで間違いないだろう。

 

実は建築基準法には「高層建築物」を指す明確な基準は無い。

 

消防法や電波法、都市計画法でも高層建築物の基準が異なるため、一貫して「◯メートルまでが高層建築物」という決まりはないのだ。

だが一般的には高さ60メートルまでを「高層建築物」、それ以上を「超高層建築物」としているようだ。

ちなみに地方公共団体レベルでも高さを定義している場合もあるそうなので、曖昧もいいところである。

 

もう個人レベルで高層だと感じたら「高層建築物」ということで良いのではないだろうか。

 

本記念塔は高さ80メートルということで、一般的に考えても「高層建築物」に分類されるだろう。

展望台部分は海抜240メートル。

360°の大パノラマが楽しめる……はずであった。

 

 

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塔の基部の様子。

末広がりになっている1階と2階部分が北方記念館であり、その上部のタワー部分が百年記念塔となる。

 

 

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もう夜8時を過ぎているというのに、そこそこ来場者がいて驚いた。

小さい子供を連れた家族までいたのだ。

 

三連休ということもあり、夜景目当てで訪れた方も多かったのだろうか。

 

開館は4月の終わりから10月末日まで。

入り口の表示によると、4・5・10月は夕方5時までしか営業していないようだ。

6~9月は夜9時まで営業。

料金は高校生以上400円(夜間200円)とのこと。

 

詳しくは以下のリンクを参照して頂きたい。

 

 

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市のOBかボランティアのようなご老人方に迎え入れられ、さっそく剥製とご対面。

 

 

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横の馬車の展示を抜けて展示室へと入る。

 

 

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個々の展示の解説はしないが、全体的な印象としては「思っていたよりも見応えがある」という感じだ。

じっくり見て歴史と文化に対する知識を深めたいところだったが、いかんせん時間が時間である。

 

屋根が斜めになっている部屋は、ちょうど記念館外観の「裾野(すその)」に当たる部分だ。

こういうところまでスペースをしっかり使っているのは感心する。

 

1階は主に「北海道の歴史と文化」に関する展示である。

 

 

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階段で2階へ上がる。

2階は「樺太の歴史」にまつわる展示がメインだ。

 

 

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これらの写真はぜひ覚えておいてもらいたい。

(というか後の記事でも掲載すると思うが)

これは、稚内公園の記事で街を見下ろしたときに見えた「北防波堤ドーム」の現役時代の姿だ。

かつてはこのようにフェリーの発着場として機能していたのである。

 

 

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こちらも前記事の稚内公園に登場した「九人の乙女」に関する展示。

戦後の電話交換台しか用意できなかった辺りに苦心を感じる。

 

 

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左は実際に自決した「九人の乙女」。

右はこの事件を描いた1974年の映画「樺太1945年夏 氷雪の門」のポスター。

 

 

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事件現場となった真岡郵便局の外観写真。

左が終戦後のもので、割れた窓ガラスなどに戦火の匂いを漂わせている。

 

右の写真は戦前の真岡郵便局。

まだ外観もきれいで、日本語で書かれた「局便郵岡真」という看板が据えられている。

 

 

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当時の業務風景と九人の自決場所。

 

写真の電信台が真岡郵便局のものか参考写真なのかわからないが、現地写真だとすればこの電信台の周囲で乙女たちは殉職したのだろう。

 

 

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他にはこのような展示も。

木々の間に立つ、菊の御紋のついた将棋の駒のような石。

 

 

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1905(明治38)年。

日露戦争後に日本とロシアの間でポーツマス条約が結ばれ、樺太の南半分を日本領とすることが決まり、このような標柱が国境に設置された。

 

日本側には日本語で(御紋の下に「界境」の文字)、ロシア側にはロシア語でそれぞれ境界であることを示している。

左側面にはロシア語で何か書かれているが、ロシア語はさっぱりである。

右側面には1906(明治39)年に設置されたことが記されている。

 

 

……と思いきや、偶然にも玄関で特別展示があり、標柱のレプリカが展示してあった。

 

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先程のものは「天第四號」で、こちらは「天第一號」。

側面のロシア語の下に、四號では見られなかった数字らしきものが見て取れる。

ということは上のロシア語は「No.」のような意味を表しているのか。

 

裏面もバッチリだ。

ロシア帝国の国章を簡略化したような「双頭の鷲」の絵図(むしろ現在のロシア連邦の国章に近い)。

上のロシア語は「ロシア」っぽいが、綴りは「РОССИА」らしいので一文字合わないように見える。

下については「1906」以外さっぱりである。

(おそらくは「境界」的な意味合いだと思われる)

 

 

ではいよいよエレベータで最上階の展示室へと向かおう。

エレベータ乗り場は玄関の前にしか無いようなので、一度玄関まで戻る必要がある。

 

 

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日立製エレベータ。

ボタンも1階と展望室のみというシンプルなもの。

 

 

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自慢げにこんなものが貼ってあるが、海抜の高さで都庁に並ばせるのはズルい気がする。

建物自体は80メートルしか無いので、この写真比較もデタラメだ。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003201j:plainそんな事を言っているうちに緊張の展望室へ。

 

 

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なんということだろうか。

エレベータを降りて目の前に広がっているのは、一面エメラルドグリーンの世界だ。

 

 

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あっちもこっちもエメラルドグリーン。

 

 

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霧が展望台の周囲を覆っており、そこにライトアップの光が散乱しているのだ。

 

映画「タイタニック」で、船長が操舵室に籠もったまま海中に沈むシーンを思い出していた。

 

 

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カメラなので実際よりも明るく写っているが、光の当たっていない方面は深夜の病院並みの恐ろしさがあった。

 

 

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地上を見下ろしても光しか見えない。

 

 

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肝心の夜景はと言うと、霧に包まれているのでほとんど見えない。

これもカメラだからなんとなく写っているだけで、肉眼ではほぼ見えなかった。

 

とは言え、夜景が見れなくても不思議な充実感に満たされた特別な体験であった。

稚内観光で一番強く記憶に残ったのは、この幻想的な情景だった。

 

夜、誰もいない展望台で一人、エメラルドグリーンの光りに包まれる。

いつでも体験出来るわけではないだろうが、ぜひ一度感じてもらいたいものだ。

 

 

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しばしの幻想体験の後、再びエレベータで地上へ。

 

 

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受付に頼めばこんなものがもらえる。

「いくらだろう」と思いきや、タダで頂けた。

 

だがそれもそのはず。

B5くらいのサイズに白黒コピーした、しかもこの地図ではないもの(樺太の地図ではあったが)だったのだ。

イメージ的には小学校の先生が配るプリント。

しかし内容的には写真のものよりも良かったかもしれない。

 

欲しい方はぜひ稚内市開基百年記念塔の受付を訪れて頂きたい。

 

 

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とにかくこの「塔と霧とライトアップのコラボレーション」は、稚内市で一番の感動だった。

似たようなアングルでも、つい何度もシャッターを切ってしまった。

 

 

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塔の前は「文芸の小径」という遊歩道になっている。

道の脇に、地元の人が読んだと思われる句が看板となって並んでいる。

(※右の写真の石碑とは別)

 

 

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道の先の展望デッキからの眺め。

写真には写っていないが、その辺に鹿が何頭もいた。

 

 

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翌日訪れた記念塔。

やはり霧に包まれている。

 

 

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これが文芸の小径と、その脇の句。

 

 

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塔裏側あたりにある北方植物園。

広場になっていて、岩やら植物が配されている。

 

 

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塔の真裏。

尾根伝いに、霧中の電波塔群が見える。

せっかくなので(?)行ってみることに。

 

 

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路肩からの転落をも予感させる道路。

 

 

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筆者は電波塔マニアというわけではないが、なんとなしに撮影してみた。

これがマニアの目に止まってもらえれば言うことはない。

 

奥は舗装が切れていたので引き返すことに。

 

 

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振り返れば霧に包まれた記念塔。

 

 

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この複雑な起伏を見ると、ここが「宗谷丘陵」の一部であることを思い知らされる。

実はこの宗谷丘陵も旅の目的の一つであった――――ということは、おそらく後の記事で触れることになるだろう。

 

 

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おそらく様々な部門で「日本最北」を獲得しているであろう開基百年記念塔&北方記念館。

夜景を楽しめる日もそうでない日も、訪れた者に忘れ得ぬ体験をさせてくれることだろう。