週刊 日本を歩く

管理人が日本で見つけた物をフリージャンルで紹介します。 「週刊」と銘打ってはいますが、更新頻度はまちまちです。 日毎もあれば月毎になることもあります。 なにはともあれ、お付き合いください。

稚内公園 望郷の慰霊展望台

翌朝に向けて眠りにつくにはまだ時間があったため、ダメ元ではあるが稚内公園に向かうことにした。

 

ちなみに翌日に再訪しているため、写真は昼だったり夜だったり見やすいものを使っている。

夜間手持ち撮影なので画が荒いものがあるが、ご了承いただきたい。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003229j:plain

高台にある公園へ至る坂道はちょっとわかりづらいところにある。

まあ案内板に注意していけばなんとかなるだろう。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003228j:plain

百年記念塔や展望台などを含めて「稚内公園」のようだ。

市営施設にしては珍しく午後九時まで営業。

夜景を楽しめることを考えてのことだろうか。

それがまさかあのようなことになろうとは……。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003051j:plain

坂道は途中で丁字路にぶつかって2つに分かれている。

一方通行なので左に行くしかないが、右の道はグルっと回って展望台から出てくるだけの話だ。

 

が、このあと道を間違えて展望台へと向かってしまう。

事前調査が重要だ。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003048j:plain

展望台に到着。実際はもっと暗い。

土産物店などは当然閉店。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003317j:plain

日中なら結構人がいる。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003318j:plain

アイスが美味。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003035j:plain

f:id:nobesuke:20170424003307j:plain

展望台からの街の風景。

写真左側の一番大きい建物、その手前のあたりに日本最北にして終点のJR稚内駅がある。

そこにもあとで行く。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003308j:plain

さきほどの写真の左端に見えた堤防。

碇泊している白い船の左側をよく見るとトンネルのようなものが見える。

あそこは「北防波堤ドーム」。

稚内の観光名所の一つだが、あそこにも後ほど訪れる。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003033j:plainf:id:nobesuke:20170424003043j:plain

暗闇の展望台で唯一ライトアップされていた「氷雪の門」。

 

樺太島民慰霊碑として地元の樺太出身者たちにより建立されたもので、中央の像は1963(昭和38)年に彫刻家の本郷新により製作された。

中央の女性像について、「顔は戦争の苦しみ」を、「手は故郷も家族も失ったこと」を、「足はその悲しみや苦しみから立ち上がる」ことを示しているとされる。

樺太で亡くなったすべての日本人のための慰霊碑だとのこと。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003313j:plain

天気のいい日には像の背後に樺太(サハリン)が望めるとのこと。

この日は残念ながらよくわからなかった。

 

実は筆者の祖父は樺太の出身で、幼少の頃にソ連軍の侵攻によって命からがら北海道へと引き揚げてきたという経歴の持ち主だった。

筆者にとっては「単に日本最北を目指す」というだけではなく、ある意味で自分のルーツに近づくということが今回の旅の目的の一つでもあった。

 

文字通り「着の身着のまま」逃げ延びた北海道で、人の親切心や食べ物のありがたさをよく実感していたようだ。

まったくの「ゼロ」から身を興して家を築いた祖父は、筆者が歴史上で最も尊敬する人物だ。

先見性に優れ、義侠心にあふれていたそんな祖父は数年前に亡くなったが、「ソ連が憎い」とか「樺太が恋しい」とか、そんな言葉は一切聞いたことがなかった。

ただひたすらに家族のため、人のために働き続け、80余年の生涯を全うしたのだった。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003312j:plain

こちらは展望台から東を向いた写真。

本当の日本最北端、宗谷岬を一望する。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003040j:plainf:id:nobesuke:20170424003315j:plain

f:id:nobesuke:20170424003038j:plainf:id:nobesuke:20170424003314j:plain

f:id:nobesuke:20170424003316j:plain

こちらは有名な「九人の乙女の像」。

とはいえ、自分を含めもう知る世代も少ないかもしれない。

 

1945(昭和20)年8月20日、ソ連軍が樺太の真岡(まおか)へ侵攻。

業務で真岡郵便局に残っていた女性電話交換手12名のうち9名が青酸カリなどを用いて自決、殉職した。

いわゆる「真岡郵便局事件」。

「北のひめゆり」とも呼ばれ、後に映画化もされた。

そんな彼女らを偲んで建立されたのがこの「九人の乙女の像」だ。

 

碑には端的に書いてあるが、実際の最期の言葉は少し違う。

以下に稚内市HP観光情報「『九人(くにん)の乙女』の物語」より一部を引用する。

 

 

同じ樺太にある泊居郵便局長は、当日の状況をこう話しています。
 「午前6時30分頃、渡辺照さんが、『今、皆で自決します』と知らせてきたので『死んではいけない。絶対毒を飲んではいけない。生きるんだ。白いものはないか、手拭いでもいい、白い布を入口に出しておくんだ』と繰り返し説いたが及ばなかった。 ひときわ激しい銃砲声の中で、やっと『高石さんはもう死んでしまいました。交換台にも弾丸が飛んできた。もうどうにもなりません。局長さん、みなさん…、さようなら長くお世話になりました。おたっしゃで…。さようなら』という渡辺さんの声が聞き取れた。自分と居合わせた交換手達は声を上げて泣いた。誰かが、真岡と渡辺さんの名を呼んだが二度と応答はなかった」と語っています。

 

引用ココマデ。

職に殉じた敬うべき人々の最期の模様だが、こういった人々のことを学校で教えてもらえなかったのは何故だろうか。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003309j:plain

1968(昭和43)年には昭和天皇香淳皇后がこの地を訪れ、のちに御製と御歌と詠んでいる。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003306j:plainf:id:nobesuke:20170424003301j:plain

f:id:nobesuke:20170424003304j:plainf:id:nobesuke:20170424003258j:plain

他には南極観測で活躍した樺太犬たちの慰霊碑などもある。

 

かつては麓から伸びる「稚内公園ロープウェイ」があったというが、訪問時よりちょうど10年前の2006年3月いっぱいで廃止されたという。

乗車時間二分程度。日本最北にして日本最短のロープウェイだったらしいが、現在は何の痕跡も残っていないようだ。

 

百年記念塔の少し下の斜面にはスキー場リフトもあったようだが、こちらも2006年に廃止されて何も残っていない。

 

 

f:id:nobesuke:20170424003303j:plain

百年記念塔と一緒の記事にしようかと思ったが、長くなりそうなので次回に回すことにする。

 

かつて日本であった近くて遠い大地に思いを馳せ、天候に恵まれた日にはその目で見ることが出来る稚内公園に、ぜひ皆さんも足を運んでみてはいかがだろうか。