岩国城
関ヶ原の戦いの後1608年に築かれたが、1615年に江戸幕府から一国一城令(一つの国に一つの城しか存在してはいけない)が発せられたため、わずか7年で廃城となったという。
※詳細は割愛します。
現在の天守は、1962年に東京工業大学の教授によって設計された鉄筋コンクリート造の再建天守。
設計にあたっては古い絵図を参考にしたようですが、麓からの見栄えがいいように実際の位置よりも頂上の際っきわに再建されており、歴史的意義は低いように思われる。
頂上まではワンスパン方式(駅と駅の間に支柱がない)のロープウェイで移動。
麓を振り返ると、岩国の美しい町並みが海に向かって続いている。
中央を流れる川に2つの橋が見えるだろうか。
左側は現代のコンクリート製橋脚だが、右側の弧が連なった木造の橋こそ名勝「錦帯橋」だ。
※錦帯橋については別記事にて。
ロープウェイを降りてから杉並木の森を歩いて行くと、途中にこのような大きな井戸が出てきた。
大釣井(おおつるい)という井戸で築城と同時に築かれ、非常時における武器弾薬の保管の他に脱出口の役目もあったと伝えられている。
「城と井戸と抜け穴」という取り合わせはどこでも共通のものだ。
有名なものは姫路城のお菊井戸だ。
もっとも、実際に抜け穴であると判明した井戸は無いようだが。
※大釣井の看板には「慶長十三年(一六〇九年)」と記されていたが、誤記と思われる。
再建天守ということだが、石垣がいつの時代のものかは判らなかった。
石垣上部は別の再建天守でも見たように白っぽい石だが、一方で下部は黒ずみと草で古さを感じさせている。
石には白い方にも黒い方にも、並んだ窪みの跡(写真中央あたり。大きなフォークで刺したような跡)がある。
多くの大名が建築に関わった城(天下普請)の石垣には、その家の家紋が掘られている場合がある。江戸城や名古屋城が有名だ。
城郭探訪の際にはこれを探すのを一つの楽しみとするのもいいだろう。
それはさておき、この城の石垣である。
この写真の窪みは(素人目ではあるが)それらの大名家の家紋には見えないし、石切の跡にしてはやけに大きく、そして雑である。
もともと天守がこの場所になかったのなら、この石垣は後の時代のものだろうか。
だとすれば何の跡なのだろう。
さほど探究心を掻き立てないのは、この城が再建天守であるからだろうか。
内部は再建天守のご多分に漏れず、博物館となっていた。
岩国城や毛利家由来の品々が展示されており、一見の価値はある。
長さ3メートルはあろうかという錦帯橋の木造模型、刀剣、甲冑、古写真、大工道具etc.
最上階からは先程のロープウェイよりも高く岩国の景色を一望できる。
角度も変わった事でさきほどより錦帯橋が分かりやすい。
遠くには瀬戸内海を挟んで四国の山並みも見える。
城を出て、麓と逆方向を見れば本来の天守台が見える。
写真は再建天守を背にして撮ったものであり、元の天守がどれだけ奥にあったかが解っていただけるだろうか。
再建天守よりもずっとゴツゴツした黒い石で構成されている。
発掘調査で下部が見つかったので、それを元にして積み上げたものだそうだ。
柵の部分にニコニコしたおじさんが腰掛けて休憩していたが、多くの観光客が石垣の写真を撮ろうとしても決して退こうとはとはしなかった。
暑いので仕方がないのもあるが、おじさんに状況を理解しているフシはなかった。
※写真は樹木でおじさんを隠して撮ってある。
このまま歩くと破壊された石垣や、破壊されずに残った石垣なども見られるが、遊歩道は急斜面の上にある狭い道で、見学の際には注意が必要だ。
麓の吉香公園には古い建物(木造、石造)から新しい建物(白ヘビ展示館!)がいくつも集まっており、店舗(種類最多のソフトクリーム屋もあり)も点在している。
錦帯橋付近一帯まで含めると、古い町並みも景色も自然もあらゆる視点で楽しむことができるので、家族連れでも十分楽しめるだろう。
(実際、公園の噴水などでは多くの子供達が楽しそうに遊んでいた)
みなさんも美しい岩国城下で、歴史と自然に触れて見てはいかがだろうか。