週刊 日本を歩く

管理人が日本で見つけた物をフリージャンルで紹介します。 「週刊」と銘打ってはいますが、更新頻度はまちまちです。 日毎もあれば月毎になることもあります。 なにはともあれ、お付き合いください。

飯盛山 若き命の散りにけり

いよいよやってきた。

会津戦争最大の悲劇とも言われる白虎隊終焉の地――飯盛山である。

 

 

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標高314m。

決して高くないその山は、周囲が開けていれば小高い丘とも呼べそうだ。

 

 

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麓には市営のものから土産店のものまで、駐車場が数箇所ある。

有料のものはなかったと記憶しているが、土産店の場合、店員からの購入圧力を感じる場合もあるという話だ。

いずれにせよ、よほどの繁忙期でなければ駐車に困ることはないだろう。

 

 

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ちなみに一つ前の写真で大きく書かれていた「白虎隊伝承史学館」。

飯盛山訪問時は下山してから入館したが、料金は大人300円(高校生200円、小中学生150円)で、それなりに貴重な写真や会津にまつわる古物が展示されている。

 

個人運営なのか、受付におばさんがいて「お金を払ったらあとは自由に見ていってください。写真はNGです」というスタイルである。

 

当時のライフル銃(のレプリカ?)に触れることもできたので、時間とお財布と気持ちに余裕のある方は寄ってみると良いだろう。

 

 

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飯盛山は完全に観光地化されており、山の「ほぼ」頂上まで楽に登ることができる。

「スロープコンベア」と呼ばれる傾斜のついたベルトコンベアで、大人250円から利用できる。

 

 

 

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坂の横には「白虎隊記念館」がある。

会津若松出身の弁護士・早川喜代次が私財を投じて建て、現在財団法人となっている。

訪問時はお盆シーズンであったが、きっかり17:00ちょうどに閉められてしまっていた。

 

 

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登ってゆく。

実はこの訪問の少し前、NHKブラタモリ」にて一行が会津を訪れた回が放送されていた。

一行はこのスロープコンベアにも乗っており、タモリさんが「手すりのほうが早く進む」と指摘されていたのを思い出し、現地で実体験してみたりした。

確かに、手すりがわずかに先に行ってしまうようだ。

 

スロープコンベアは屋根もかかっているので、雨天時にも頂上へ楽に向かえるが、山の頂上には当然屋根がないので、結局濡れるハメになるだろう。

 

また、坂が途中でわずかに右に折れるためそこで1号機が終了し、数メートル歩いて登った後、2号機に乗り込むことになる。

 

1号機から2号機までの間は両脇に柵が設けられているため、途中から2号機に乗り込むということはできないようになっている。

 

 

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2号機を終え、頂上の手前に到着。

国指定重要文化財「さざえ堂」の案内が出てくるが、まずは頂上を目指す。

 

 

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スロープコンベアを降り、さらに階段を2区間登ると、やっと頂上の広場が見えてくる。

 

 

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まだパノラマ撮影を使いこなせなかった時期の写真。

写真をただ2枚並べただけである。

 

 

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頂上広場には白虎隊や藩士の墓の他、ドイツとイタリアから送られた記念碑も立っている。

「ドイツとイタリアが日本に~」と聞けば、日独伊三国軍事同盟(1940.9.27)を想像する人も多いだろうが、これらの碑はそれ以前に送られたものである。

ちなみにイタリアは、ムッソリーニが「白虎隊とファシスト党は通じるものがある」と讃えて送ってきてくれたそうで、こちらからすれば複雑な感情である。

一方のドイツもバリバリのナチスドイツ時代で、送るのを提案したのは白虎隊に感動したドイツ大使館付武官らしいが、送られた碑にはバッチリナチスのマークが刻んであったという。

これらの碑は大戦後に進駐してきた米軍の被害にあっているが、墓守の手によって保護や修復が行われた。

 

 

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さて、頂上まで来たが、あそこはいわゆる白虎隊の「悲劇の地」ではない。

実際の場所は、頂上から脇に下ったところにある。

 

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ここがその場所だ。

白虎隊士の像が、会津若松城の方を眺めている。

 

 

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像が見ている景色はこんな感じ。

 

 

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標準レンズではこれがズームの限界だ。

写真中央に木の密集したエリアがあるが、そこが会津若松城鶴ヶ城)だ。

よく見るとその木の中、本当に写真のど真ん中に天守が小さく見えている。

 

 

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若き隊士たちは炎上する城下町を落城と早合点。

実際に落城するのは約1ヶ月も先であったが、彼らはこの地で自らに刃を向けた。

7名が自決を決行。うち1名・飯沼貞吉のみが一命を取り留めたことで、この悲劇は後世に語り継がれることとなる。

 

 

さて、白虎隊士の墓に手を合わせ、再び頂上を通って坂道の方へ戻る。

 

 

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頂上のすぐ下にある売店の脇から、国指定重要文化財・さざえ堂が姿をのぞかせている。

 

 

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木造ではあるが、なんとも複雑な外観である。

 

 

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ここからではアクセスできないので、少し下の広場へと降りる。

 

 

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ちなみにこれが売店あたりから見下ろした麓の景色。

本当に低い山である。

 

 

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広場へ向かう道の脇にさざえ堂の特色が書いてある。

 

 

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そもそも「さざえ堂」とは、仏教の礼法「右繞三匝(うにょうさんぞう=右回りに3回廻る)」をベースに作られたもので、本来は「三匝堂(さんそうどう)」というが、螺旋構造が栄螺(さざえ)の貝に似ていることから「さざえ堂」と呼ばれているという。

 

さざえ堂自体は国内に数箇所現存しているが、ここ会津のさざえ堂は「上り下りがぶつからない二重螺旋構造」という点でかなり特異である。

 

 

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 大人300円を払って中へ。

 

 

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皇室も来訪したことのある重文。

手書き英語の説明文に味がある。

 

 

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内部には仏像が安置され、来訪記念である千社札がそこかしこに貼られている。

今では迷惑行為間違いなしだろう。特にここは国指定重要文化財なのだ。

 

そして上りは右回り。

 

 

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滑り止め付きのスロープ構造。傾斜は階段よりも緩い。

 

 

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中央の柱の間からは反対側の下りスロープが見え、場所によってはアクセスもできる。

 

 

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ここが最上階。

千社札が天井画の如く頭上を埋めている。

 

 

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最上階では円弧状の短い渡り廊下で反対側に移動。

 

 

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登ってきたスロープと円弧の間にやや無理やりな段差(写真中央)ができてしまっている。

ここまで複雑な構造をつくる技術があったのだから、もう少し自然に接続できなかったのか。

 

 

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最上階から下方の神社を眺め、頭上の千社札にも別れを告げる。

 

 

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下りも画的には変わらない。

 

 

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建物の構造上、出口は入り口の反対側にあるため、かなり寂しい場所に出る。

 

 

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売店に物を揚げるためのインクライン(?)があったり。

 

 

 

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かなり大きい。

道南(「どうなん」=北海道南部のこと。)の一部地域に植栽されているものがあるそうだが、北海道ではまず目にすることのない杉の木だ。

このため北海道ではスギ花粉の脅威に触れることはほぼ無いと言っていい。

 

 

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さざえ堂から出て緩やかに下りつつ、途中には碑やら寺社仏閣が点在している。

 

 

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麓の案内板写真で手塚治虫がバックにして撮っていた洞穴。

30km以上もかけて猪苗代湖と繋がっているというからすごい。

白虎隊も隠れたらしい。

 

 

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さらに下ると、閉館していた白虎隊記念館の横に出る。

写真右奥に、登りで使用したスロープコンベアの屋根と壁が写っている。

 

さらに下ると冒頭の白虎隊伝承史学館だ。

 

 

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そして麓に戻ってきた。

近くには何やら史跡があるらしいので足を向けてみる。

 

 

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が、ご覧の通り改修中にて見学不可。

お盆といえば8月ど真ん中でバリバリの行楽シーズンだと思うのだが、こういうところに観光行政の地域格差が出るのではないだろうか。

 

 

さて、これにて飯盛山の記事を終える。

まったく長い休筆期間であり、2018年の記事も振り返ればこれを含めてわずか4つである。

いったいどの面を下げて「週刊」を謳っているのか。

もはや「月刊」とも言えず、「半期刊」と化しており、お待ちいただいている読者の皆様には申し訳ない限りである。(その割にネタは溜まっていく)

 

とはいえ、そんな本ブログも今月で創刊以来総アクセス数が10,000を突破した。

重ね重ね、名前負けしてしまっていることに負い目を感じつつ、本年はこれで筆を置きたいと思う。

 

いろいろあった平成も間もなく終わりを告げる。

新しい時代も、皆様にとって良き時代となることを祈って。

 

2018.12.25 のべすけ