週刊 日本を歩く

管理人が日本で見つけた物をフリージャンルで紹介します。 「週刊」と銘打ってはいますが、更新頻度はまちまちです。 日毎もあれば月毎になることもあります。 なにはともあれ、お付き合いください。

Youtubeに動画を上げ始めております。

大変お久しぶりです。

今年からYoutubeに動画を上げ始めております。

 

今後は、これまでの「文字と静止画」という手段から、

「ナレーションと映像」という方法に転換して、

より多くの情報をまとめていこうかと思います。

 

方向性はこれまでのブログと大きく変えるつもりはありませんが、

せっかく「動画」という多様性に富んだ媒体を使用するわけですから、

旅行にとどまらない幅広い動画を作っていけたらと思います。

 

www.youtube.com

 

こちらのブログも大事な記録ですので、ずっと残しておくつもりです。

これまでご愛顧いただきありがとうございました。

これからはYoutubeチャンネルをよろしくお願いいたします。

 

桧原湖と五色沼 美しき会津の水

この日は朝から、所謂「裏磐梯」エリアにある「桧原湖(ひばらこ)」に向かった。

天気は快晴。コンディションよし。

 

 

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磐梯観光船株式会社の磐梯高原営業所に到着。

桧原湖ではアヒルボートから高速艇まで、各種ボートで遊覧が楽しめる。

 

 

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久しぶりのGoogleMap。

株式会社ゼンリンとの契約が切れ、日本地図が極めて使いづらくなったともっぱらの評判である。

 

地図下方に見えている大きな湖が猪苗代湖

磐梯山を挟んで北側の中央の磐梯山を挟んで北側のエリアを「裏磐梯」もしくは「裏磐梯高原」と呼ぶ。

 

 

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湖岸沿いのお土産屋さんで出港準備。

トイレも事前に済ませておこう。

 

 

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カモ。

 

 

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護岸周辺を見れば水の具合は一目瞭然。

あくまで透明度だけの話であるが、なんときれいな水だろう。

 

 

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今回は4,5人乗りの高速艇をチャーター。

値段は業者によってまちまちの模様だが、1人あたり2,000円前後が相場だろうか。

訪問の際は事前に調べてほしい。

 

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艇長の後ろ姿がたのもしい。

 

 

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桧原湖の水深は最大で30m~31mだそうだ。

視線を落とすと……あな恐ろしや。

 

 

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出発すると、南北に細長い湖を真北に向かって進んでいく。

奥には山形県との県境になる山々が広がっている。

 

 

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松島のような緑生い茂る小島が現れてくる。

 

 

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高速艇は軽快でかなり気持ちがいい。

振り返れば磐梯山の裏側が見られる。

 

 

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以下に裏磐梯の成り立ちを、裏磐梯観光協会のサイトより引用する。

明治21年1888年)7月15日の磐梯山大爆発により裏磐梯が位置する北側は荒々しい火口壁を見せ、また、この時に流下した岩なだれによる川のせき止めで、桧原湖五色沼をはじめとする裏磐梯の湖沼群が誕生しました。戊辰戦争よりも20年もあとのことです。

エリア最大の湖、桧原湖も川がせき止められてできたもの。噴火後約2年の歳月をかけて、今の大きな湖となりました。

裏磐梯は、春は新緑、夏は深緑、秋は紅葉、冬は銀世界と移り変わる美しい景色を持ち、昭和25年(1950年)に磐梯朝日国立公園に指定されました。

 

出展;裏磐梯観光協会HPより

 

 

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ボートの排気煙が写り込んでしまっている。

磐梯山大爆発による山体崩壊により、磐梯山はあのような荒々しい姿になったと同時に、桧原湖五色沼などの美しい景色を後世に残したのである。

 

 

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あっという間に終了。

写真では伝わらないだろうが、とにかく気持ちのいい遊覧であった。

 

 

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続いて車を10分弱ほど東に走らせ、五色沼に向かった。

 

 

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駐車場からほんの少し歩くと、すぐに五色沼(のひとつ)が見えてくる。

 

 

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こちらが五色沼のひとつで最大の「毘沙門沼」。

五色沼、というが色は様々で大小30余りあり、猪苗代湖などと合わせて福島・山形・新潟の3県に渡る磐梯朝日国立公園を形成している。

 

 

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こちらの湖沼群も磐梯山大爆発によって生まれたと述べたが、同時に地下水に酸性物質(ケイ酸アルミニウム)が含まれるようになった。

これら酸性物質の結晶は特定の光の波長を反射する性質があり、この沼では日光に含まれる青い光を反射しているため青く見えるということだ。

 

五色沼の色は時期や天気によって微妙に変わるため、四季折々で表情の違いを見せてくれる。

 

 

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毘沙門沼の横から遊歩道を通って他の沼へも行けるようだが、途中足場の悪い場所もいくつか見られる。

 

しかし残念ながら次の予定が迫っているため、他の沼は切り上げ。

弾丸ツアーの悲しいところである。

 

 

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最後に写真を載せてお茶を濁すいつものパターン。

 

 

次回は「野口英世記念館」の記事をアップ予定である。

飯盛山 若き命の散りにけり

いよいよやってきた。

会津戦争最大の悲劇とも言われる白虎隊終焉の地――飯盛山である。

 

 

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標高314m。

決して高くないその山は、周囲が開けていれば小高い丘とも呼べそうだ。

 

 

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麓には市営のものから土産店のものまで、駐車場が数箇所ある。

有料のものはなかったと記憶しているが、土産店の場合、店員からの購入圧力を感じる場合もあるという話だ。

いずれにせよ、よほどの繁忙期でなければ駐車に困ることはないだろう。

 

 

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ちなみに一つ前の写真で大きく書かれていた「白虎隊伝承史学館」。

飯盛山訪問時は下山してから入館したが、料金は大人300円(高校生200円、小中学生150円)で、それなりに貴重な写真や会津にまつわる古物が展示されている。

 

個人運営なのか、受付におばさんがいて「お金を払ったらあとは自由に見ていってください。写真はNGです」というスタイルである。

 

当時のライフル銃(のレプリカ?)に触れることもできたので、時間とお財布と気持ちに余裕のある方は寄ってみると良いだろう。

 

 

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飯盛山は完全に観光地化されており、山の「ほぼ」頂上まで楽に登ることができる。

「スロープコンベア」と呼ばれる傾斜のついたベルトコンベアで、大人250円から利用できる。

 

 

 

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坂の横には「白虎隊記念館」がある。

会津若松出身の弁護士・早川喜代次が私財を投じて建て、現在財団法人となっている。

訪問時はお盆シーズンであったが、きっかり17:00ちょうどに閉められてしまっていた。

 

 

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登ってゆく。

実はこの訪問の少し前、NHKブラタモリ」にて一行が会津を訪れた回が放送されていた。

一行はこのスロープコンベアにも乗っており、タモリさんが「手すりのほうが早く進む」と指摘されていたのを思い出し、現地で実体験してみたりした。

確かに、手すりがわずかに先に行ってしまうようだ。

 

スロープコンベアは屋根もかかっているので、雨天時にも頂上へ楽に向かえるが、山の頂上には当然屋根がないので、結局濡れるハメになるだろう。

 

また、坂が途中でわずかに右に折れるためそこで1号機が終了し、数メートル歩いて登った後、2号機に乗り込むことになる。

 

1号機から2号機までの間は両脇に柵が設けられているため、途中から2号機に乗り込むということはできないようになっている。

 

 

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2号機を終え、頂上の手前に到着。

国指定重要文化財「さざえ堂」の案内が出てくるが、まずは頂上を目指す。

 

 

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スロープコンベアを降り、さらに階段を2区間登ると、やっと頂上の広場が見えてくる。

 

 

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まだパノラマ撮影を使いこなせなかった時期の写真。

写真をただ2枚並べただけである。

 

 

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頂上広場には白虎隊や藩士の墓の他、ドイツとイタリアから送られた記念碑も立っている。

「ドイツとイタリアが日本に~」と聞けば、日独伊三国軍事同盟(1940.9.27)を想像する人も多いだろうが、これらの碑はそれ以前に送られたものである。

ちなみにイタリアは、ムッソリーニが「白虎隊とファシスト党は通じるものがある」と讃えて送ってきてくれたそうで、こちらからすれば複雑な感情である。

一方のドイツもバリバリのナチスドイツ時代で、送るのを提案したのは白虎隊に感動したドイツ大使館付武官らしいが、送られた碑にはバッチリナチスのマークが刻んであったという。

これらの碑は大戦後に進駐してきた米軍の被害にあっているが、墓守の手によって保護や修復が行われた。

 

 

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さて、頂上まで来たが、あそこはいわゆる白虎隊の「悲劇の地」ではない。

実際の場所は、頂上から脇に下ったところにある。

 

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ここがその場所だ。

白虎隊士の像が、会津若松城の方を眺めている。

 

 

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像が見ている景色はこんな感じ。

 

 

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標準レンズではこれがズームの限界だ。

写真中央に木の密集したエリアがあるが、そこが会津若松城鶴ヶ城)だ。

よく見るとその木の中、本当に写真のど真ん中に天守が小さく見えている。

 

 

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若き隊士たちは炎上する城下町を落城と早合点。

実際に落城するのは約1ヶ月も先であったが、彼らはこの地で自らに刃を向けた。

7名が自決を決行。うち1名・飯沼貞吉のみが一命を取り留めたことで、この悲劇は後世に語り継がれることとなる。

 

 

さて、白虎隊士の墓に手を合わせ、再び頂上を通って坂道の方へ戻る。

 

 

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頂上のすぐ下にある売店の脇から、国指定重要文化財・さざえ堂が姿をのぞかせている。

 

 

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木造ではあるが、なんとも複雑な外観である。

 

 

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ここからではアクセスできないので、少し下の広場へと降りる。

 

 

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ちなみにこれが売店あたりから見下ろした麓の景色。

本当に低い山である。

 

 

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広場へ向かう道の脇にさざえ堂の特色が書いてある。

 

 

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そもそも「さざえ堂」とは、仏教の礼法「右繞三匝(うにょうさんぞう=右回りに3回廻る)」をベースに作られたもので、本来は「三匝堂(さんそうどう)」というが、螺旋構造が栄螺(さざえ)の貝に似ていることから「さざえ堂」と呼ばれているという。

 

さざえ堂自体は国内に数箇所現存しているが、ここ会津のさざえ堂は「上り下りがぶつからない二重螺旋構造」という点でかなり特異である。

 

 

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 大人300円を払って中へ。

 

 

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皇室も来訪したことのある重文。

手書き英語の説明文に味がある。

 

 

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内部には仏像が安置され、来訪記念である千社札がそこかしこに貼られている。

今では迷惑行為間違いなしだろう。特にここは国指定重要文化財なのだ。

 

そして上りは右回り。

 

 

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滑り止め付きのスロープ構造。傾斜は階段よりも緩い。

 

 

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中央の柱の間からは反対側の下りスロープが見え、場所によってはアクセスもできる。

 

 

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ここが最上階。

千社札が天井画の如く頭上を埋めている。

 

 

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最上階では円弧状の短い渡り廊下で反対側に移動。

 

 

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登ってきたスロープと円弧の間にやや無理やりな段差(写真中央)ができてしまっている。

ここまで複雑な構造をつくる技術があったのだから、もう少し自然に接続できなかったのか。

 

 

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最上階から下方の神社を眺め、頭上の千社札にも別れを告げる。

 

 

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下りも画的には変わらない。

 

 

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建物の構造上、出口は入り口の反対側にあるため、かなり寂しい場所に出る。

 

 

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売店に物を揚げるためのインクライン(?)があったり。

 

 

 

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かなり大きい。

道南(「どうなん」=北海道南部のこと。)の一部地域に植栽されているものがあるそうだが、北海道ではまず目にすることのない杉の木だ。

このため北海道ではスギ花粉の脅威に触れることはほぼ無いと言っていい。

 

 

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さざえ堂から出て緩やかに下りつつ、途中には碑やら寺社仏閣が点在している。

 

 

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麓の案内板写真で手塚治虫がバックにして撮っていた洞穴。

30km以上もかけて猪苗代湖と繋がっているというからすごい。

白虎隊も隠れたらしい。

 

 

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さらに下ると、閉館していた白虎隊記念館の横に出る。

写真右奥に、登りで使用したスロープコンベアの屋根と壁が写っている。

 

さらに下ると冒頭の白虎隊伝承史学館だ。

 

 

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そして麓に戻ってきた。

近くには何やら史跡があるらしいので足を向けてみる。

 

 

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が、ご覧の通り改修中にて見学不可。

お盆といえば8月ど真ん中でバリバリの行楽シーズンだと思うのだが、こういうところに観光行政の地域格差が出るのではないだろうか。

 

 

さて、これにて飯盛山の記事を終える。

まったく長い休筆期間であり、2018年の記事も振り返ればこれを含めてわずか4つである。

いったいどの面を下げて「週刊」を謳っているのか。

もはや「月刊」とも言えず、「半期刊」と化しており、お待ちいただいている読者の皆様には申し訳ない限りである。(その割にネタは溜まっていく)

 

とはいえ、そんな本ブログも今月で創刊以来総アクセス数が10,000を突破した。

重ね重ね、名前負けしてしまっていることに負い目を感じつつ、本年はこれで筆を置きたいと思う。

 

いろいろあった平成も間もなく終わりを告げる。

新しい時代も、皆様にとって良き時代となることを祈って。

 

2018.12.25 のべすけ