大変お久しぶりです。 今年からYoutubeに動画を上げ始めております。 今後は、これまでの「文字と静止画」という手段から、 「ナレーションと映像」という方法に転換して、 より多くの情報をまとめていこうかと思います。 方向性はこれまでのブログと大きく…
この日は朝から、所謂「裏磐梯」エリアにある「桧原湖(ひばらこ)」に向かった。 天気は快晴。コンディションよし。 磐梯観光船株式会社の磐梯高原営業所に到着。 桧原湖ではアヒルボートから高速艇まで、各種ボートで遊覧が楽しめる。 久しぶりのGoogleMap…
いよいよやってきた。 会津戦争最大の悲劇とも言われる白虎隊終焉の地――飯盛山である。 標高314m。 決して高くないその山は、周囲が開けていれば小高い丘とも呼べそうだ。 麓には市営のものから土産店のものまで、駐車場が数箇所ある。 有料のものはなかった…
飯盛山へ行く前に、会津武家屋敷へ立寄った。 こちらは会津戦争時の家老・西郷頼母の屋敷を復元・再現したものを中心に資料館となっている施設である。 なお、本施設については諸事情により写真掲載のみとなるが、ご了承頂きたい。 以上、会津武家屋敷でした…
さて、前回の記事で「次回は飯盛山へ」などと記したが、その前に訪れた会津若松城下の町並みを紹介したいと思う。 こちらは「七日町通り」。 大正浪漫の雰囲気を残したおしゃれなストリートだ。 こちらはその一隅にある「会津新撰組記念館」。 江戸の終わり…
ついに2018年がやってきてしまった。 激化した仕事の合間を見つつ、ちょこちょこと書いていた記事をここでまとめてしまいたい。 時が経つのは早いもので、もう一年以上前の旅行記となってしまった。 記憶の端々を掘り起こしつつ、筆を進めていきたいと思う。…
もたついてしまったが、やっと一年前の旅行記事を終えることが出来る。 このあとも溜まりに溜まっている旅行記事を思い浮かべると先が思いやられるが、終わりは終わりだ。 自分と故郷のルーツを巡る道北旅行の締めに相応しい場所を、本旅行記で最後の記事と…
宗谷岬から車で五分ほど西へ戻る。 途中に道道889号線(上猿払清浜線)への分岐があり、そこから丘陵内へと進むことが出来る。 写真の看板は西側を向いているので、宗谷岬側から来ると気が付かないかもしれない。 道路標識などに注意を払おう。 まあどうして…
稚内駅前で車中泊を敢行したものの、件の騒ぎと車の狭さもあって眠りは浅く。 うたた寝と起床を繰り返したため、翌朝はいっそ早起き(?)して、昇る太陽を宗谷岬から拝むことを計画。 当日の日の出は午前4時頃だったと記憶している。 JR稚内駅から宗谷岬ま…
この日は稚内駅前で車中泊をすることに。 数百台(?)と思われる車が駐車しており、多くの人が同じような方法で電車やフェリーの始発を待っていると考えられる。 夜中に地元の若者が来て、駐車場の中央あたりで乱痴気騒ぎを起こして帰っていった。 他に娯楽…
さて、いよいよ「稚内市開基百年記念塔」へ向かう。 稚内市はもともと1879年に宗谷村が設置されたことに端を発している。 市となったのは1949年で、開基百年&市制30年を記念して1978年に塔が建設された。 つまり、もうすぐ築40年となるのだ。 見よ、この神…
翌朝に向けて眠りにつくにはまだ時間があったため、ダメ元ではあるが稚内公園に向かうことにした。 ちなみに翌日に再訪しているため、写真は昼だったり夜だったり見やすいものを使っている。 夜間手持ち撮影なので画が荒いものがあるが、ご了承いただきたい…
いよいよ日本最北端の町、稚内市へと足を進める。 まず最初に訪れるのは日本の北端の一つ、ノシャップ岬である。 最北端ではなく、あくまでも「北端」だ。 位置関係を見てみよう。 恒例のGoogleMap。稚内市の北部を拡大したものだ。 左の半島の先が、件のノ…
ここからは少し詰めて、オロロンラインを一気に北上した記事にする。 更新頻度が低いくせに、ネタはどんどん溜まってしまっているからだ。 すでにこの道北旅行の後に2つの旅行ネタが溜まっている。 更新速度も挙げねば。 というわけで苫前から羽幌へ戻り、…
いよいよ来た。 この旅行のメインイベントの一つ、三毛別羆事件の現場(への道程)。 前記事同様、事件については特に説明しない。 事件が発生した1915(大正4)年当時の地名は「北海道天塩国苫前郡苫前村大字力昼村三毛別御料農地6号新区画開拓部落六線沢」…
仕事も忙しくなり、前回の記事から随分時間が経ってしまった。 やっと苫前町郷土資料館の記事を上げることが出来る。 築別・羽幌炭砿で時間を潰し、資料館に到着したのは午前11頃であった。 建物は年季が入っているが、それもそのはず。 もともと町役場とし…
明けて旅行の2日目。 寝ては起きてを繰り返し、朝6時に再び起きるも写真を2枚ほど撮影して更に一眠り。 結局出発は朝8時半ごろとなった。 前記事の地図を引用する。 この日は前日なし得なかった苫前資料館&三毛別現地アタックと決めていたが、資料館の開館…
おびら鰊番屋を終え、いよいよ本旅行のメインディッシュのひとつである苫前の町が見えてきた。 だが出発時間の遅れが響き、苫前町にある「苫前町郷土資料館」(次々回紹介予定)に到着した時にはちょうど管理者の方が鍵をかけて帰宅するところであった。 こ…
※前回記事までは画像設定が間違っていたらしく、修正したので今回からは少し大きな写真で見れるはず。 ということで今回は写真多め&ちょっと長い。 秩父別から山間部を抜けて日本海を目指す。 地図は道央の少し北を拡大したもので、左の海は日本海だ。 右下…
さる夏の連休、祖父の形見の一眼レフを片手に道北を目指した。 主目的は日本最悪の獣害事件現場とされる「三毛別」の現地訪問と、 北海道最北端にして日本最北端の地である「宗谷岬」の到達だ。 それらを中心に記録に収めながら、日本海沿岸の所謂「オロロン…
大久野島の後、時間があったこともあり、せっかくなので竹原市重要伝統的建造物群保存地区へと寄ってみた。 前情報もなく、島めぐりで疲労していたためにあまり情報収集は出来なかった。 なので軽い説明と数枚の写真でまとめたいと思う。 江戸中期から明治に…
呉市から瀬戸内海沿いを車で東へ一時間余。 「毒ガス島」で有名な大久野島のある竹原市へと向かった。 大久野島は瀬戸内海に浮かぶ小島だ。 渡るにはフェリーを必要とするが、繁忙期には「たけはら海の駅」からチャーター船が出ているため、GWの今回はこちら…
海に浮かぶ真っ赤な鳥居。 日本三景のひとつ、かの有名な「安芸の宮島」にある厳島神社だ。 この「宮島」と「厳島」という言葉の使い分けだが、特にハッキリしていないという。 国土地理院の指定では「厳島」となっているが、町の名前は戦後に「宮島町」にな…
生まれも育ちも北海道の筆者にとって、この西日本の気候は5月といえども充分に厳しいものであった。 さるゴールデンウィークのある日、広島市を訪問した。 筆者が去った数日後から合衆国のオバマ大統領が訪問する・しない、という話題で沸き返った広島の街…
この日は呉市街を抜けて江田島へと向かった。 しかし生憎の雨。 中々激しく、車から降りるのも大変だった。 また呉湾沿いに、アレイからすこじま方面へと南下していく。 アレイからすこじまについては以下の記事からどうぞ。 途中にはかの有名な、大日本帝国…
街の中にデンと現れた巨大な潜水艦。 退役した海上自衛隊のゆうしお型潜水艦「あきしお(SS-579)」だ。 1986年に竣工し、2004年に退役してここに展示された。 つまり2016年現在、御年30歳となる。 「てつのくじら館」という名前で有名だが、正式には「海上…
アレイからすこじま(下記記事参照)から呉港沿いに北上すると、かの有名な大和ミュージアムの案内が交通標識に登場する。 ちなみに広島空港からは大和ミュージアムのほうが近いのだが、開館時間の関係でアレイからすこじまを先に訪れた。 訪問の際は宿泊地…
所変わって広島県呉市の公園「アレイからすこじま」。 海上自衛隊の第一潜水隊群司令部に隣接する公園で、これだけ近い距離で潜水艦が見れる場所は日本国内でもここだけだ。 「アレイ」とは英語の「alley」で、意味は「小路、遊歩道、球技場」など。 「から…
横山にそびえる岩国城から見下ろした錦帯橋。 川幅約200メートルの錦川に架かり、藩主や上級武士の屋敷がある「御土居(おどい)」と、対岸の中下級武士や町民の住む城下町を結んでいる。 写真手前が御土居側、奥側が城下町となっている。 築城当初からこの…
山口県岩国市の横山にそびえる岩国城。 築城主は毛利家の家臣・吉川広家(毛利元就の孫に当たる)。 関ヶ原の戦いの後1608年に築かれたが、1615年に江戸幕府から一国一城令(一つの国に一つの城しか存在してはいけない)が発せられたため、わずか7年で廃城と…