三毛別羆事件現地 日本最悪の獣害事件
いよいよ来た。
この旅行のメインイベントの一つ、三毛別羆事件の現場(への道程)。
前記事同様、事件については特に説明しない。
事件が発生した1915(大正4)年当時の地名は「北海道天塩国苫前郡苫前村大字力昼村三毛別御料農地6号新区画開拓部落六線沢」というらしい(wikipediaより)。
現在のところ、地名は行政的に消えたり残ったり、地元の人が呼んでたり、事件名で有名になったりとなかなかややこしい。
まあ長ったらしいので、『当時は「苫前村の三毛別の六線沢」で発生し、そこは現在「苫前町の三毛別の三渓」と呼ばれている』くらいの認識でいいと思う。
とにかく、見学目的で向かう場合は苫前町の「三渓」という場所を目指せばいい。
上の写真には「三渓」と「力昼」の地名が写っている。
力昼といえば、前記事のトドが打ち上げられた海岸ある場所だ。
事件の内容のせいか、あまり大々的に宣伝するつもりはないのかもしれない。
距離やクマ出没の可能性も考えると、現地へは最低でもバイクくらいは必要になりそうだ。
ベアーロードに入る最初のポイントさえ間違えなければ、道なりに現地まで向かうことが出来る。
道中の案内といえば、この「ベアーロード」という表示くらいしかない。
こんなに和やかな事件ではないのだが……。
現場へ近づくにつれてそれらしい単語が増えてくるが、カーナビやGoogleMapなどなんらかのナビゲーションがないと迷う可能性が強い。
日中であれば(わざわざ夜に行く人もいないとは思うが)道中の農家の方などに訪ねてみるのも手だろう。
筆者はカーナビ頼りだったが、なぜか現場を去る際に突然カーナビがお亡くなりになってしまった……。
道中は築別炭鉱に向かうときと、さほど景色が変わらない。
しかし所々に当時を偲ばせる地名や物件が残っている。
この写真は撮る位置を間違えているが、両サイドがワイヤーロープになっている場所は射止橋ではない。
その奥のピンクの欄干がある部分が正しい位置だ。
先程の写真の左奥に建っている倉庫。
ここで対岸に現れた羆を手負いにさせることができた。
この後、羆はマタギの手によって山中で射殺される。
ここで道中の案内をいくつかご覧いただこう。
「ようこそ熊嵐(くまあらし)へ」という、割と笑えない看板。
事件の別名らしく、本事件を扱った吉村昭氏の書籍名にもなっている。
ちなみにクマを殺した後に天候が急変することを「熊風(くまかぜ)」というらしい。
風とか嵐とか、パッと見ではややこしい。
ちなみに本事件の羆が射殺された後にも、突然の猛吹雪が吹きすさんだそうだ。
錆のせいか、おどろおどろしい羆の顔が来訪者を迎え入れる。
ベアーロードの可愛らしい看板(苫前町管理)もあれば、突然こういった恐ろしげな看板(北海道管理)も現れる。
数枚見てもらってお分かりだと思うが、案内板に統一性はほ皆無だ。
ベアーロードの看板くらいは似たようなデザインで何枚も貼り付けてあるが、三毛別事件を紹介したいのかどうか、意図が伝わりにくい。
いっそ北海道のブランド「熊出没注意」とコラボレーションしてしまうのも手だとは思うのだが。
道中、好天であるにも関わらず突然の雨。
「熊風」という言葉が頭をよぎる。
途中で三渓神社を発見。
他にも神社を見つけるたびに参拝したが、ここは少し特別かもしれない。
なぜならここには、三毛別事件の慰霊碑があるのだ。
本事件では胎児を含む7名が死亡、3名が重傷を負った。
獣害事件としては日本で最悪の被害をもたらしている。
施主として大きく名前が掘られているのは、事件当時に対策本部が置かれた大川与三吉
氏の息子である大川春義氏。
事件の影響でヒグマに対して強い復讐心を抱き、生涯で100頭以上を仕留め、北海道の獣害被害減少に貢献した伝説的な猟師である。
その一方で、仕留めた羆(当時は高価で取引された)を住民に無償で譲ったり、犠牲者のために慰霊碑を建立したり、「本当に悪いのは羆ではなく、自分たちの方ではないか?」と自問自答したり。
決して羆に対するシリアルキラーのような人間ではなく、義侠心に溢れた方だったようだ。
前記事の苫前資料館にあった「北海太郎」を仕留めたのは、この春義氏の息子である
高義氏であり、羆と闘い続けた一族なのかもしれない。
なお、春義氏は1985年の三毛別羆事件の70回忌の際に突然倒れて亡くなったという。
1977年に計102頭を仕留めたところで銃を置いたが、そのうち単独で仕留めたのは76頭である。
生年は1909(明治42)年(明治43説もあり)ということなので、一人で仕留めた羆と
同じ数の76まで生き、この世を去ったことになる。
ただの数字の偶然ではあるが、なんとも因縁深い話である。
二礼二拍手一礼。
これを覚えているだけでどこに行っても恥ずかしくない。
フレンチのマナーなんかよりよほど大切なことだ。
ついに舗装がなくなった。ここが現地への入り口だ。
残りは200メートルほど。
いよいよ現地が見えてきた。
現地到着。右手側は軽く駐車場のようになっている。
ありがたいことにすでに来訪者がいた。
配置はこんな感じ。
左下の砂利道から入ってくる。
目立つのは中央奥にある再現家屋くらい。
駐車場側から全体を見渡す。
バイクが停まっている辺りの左に、さきほどの砂利道が来ている。
出ました。
これがこの場所で一番の目玉(?)。
羆を再現した像である。
煽りで撮ると恐ろしさが増す。
サイズまで厳密に再現したかは不明だ。
なにやら修復中のようであった。
先輩、下半身弱いっすね。
家屋の入り口から左側を覗く。
内部は当時の暮らしぶりを再現してある。
右側の壁にはスタンプやパンフレットが置いてある。
未だにここが羆のテリトリーでありことを感じさせる警告文。
家屋裏手の斜面。
そのあたりからひょっこりと現れてきそうで背筋が寒くなる。
こんなふうにね。
他にも羆に引っかかれた木の肌などが残っていたようだが、再び雨も降り出してきたために撤退を余儀なくされた。
ここまで煽っておいてアレだが、実際の現場はここよりもう少し山奥だったり、もっと手前にあったりする(羆が複数箇所に現れたため)。
この場所は代表地点のような役割で整備されたのだ。
わざわざ何度となく訪れる場所ではないし、アクセスを考えると、もう訪れることはないかもしれない。
それでも北海道で生まれ育った人間として、一度くらいは訪れておきたい場所であった。
我々の生活は、本州以南に暮らす人々よりも一層、大自然と隣り合わせなのだ。