開基百年記念塔&北方記念館 最北の幻想空間
さて、いよいよ「稚内市開基百年記念塔」へ向かう。
稚内市はもともと1879年に宗谷村が設置されたことに端を発している。
市となったのは1949年で、開基百年&市制30年を記念して1978年に塔が建設された。
つまり、もうすぐ築40年となるのだ。
見よ、この神々しさを。
日本最北の高層建築物、ということで間違いないだろう。
実は建築基準法には「高層建築物」を指す明確な基準は無い。
消防法や電波法、都市計画法でも高層建築物の基準が異なるため、一貫して「◯メートルまでが高層建築物」という決まりはないのだ。
だが一般的には高さ60メートルまでを「高層建築物」、それ以上を「超高層建築物」としているようだ。
ちなみに地方公共団体レベルでも高さを定義している場合もあるそうなので、曖昧もいいところである。
もう個人レベルで高層だと感じたら「高層建築物」ということで良いのではないだろうか。
本記念塔は高さ80メートルということで、一般的に考えても「高層建築物」に分類されるだろう。
展望台部分は海抜240メートル。
360°の大パノラマが楽しめる……はずであった。
塔の基部の様子。
末広がりになっている1階と2階部分が北方記念館であり、その上部のタワー部分が百年記念塔となる。
もう夜8時を過ぎているというのに、そこそこ来場者がいて驚いた。
小さい子供を連れた家族までいたのだ。
三連休ということもあり、夜景目当てで訪れた方も多かったのだろうか。
開館は4月の終わりから10月末日まで。
入り口の表示によると、4・5・10月は夕方5時までしか営業していないようだ。
6~9月は夜9時まで営業。
料金は高校生以上400円(夜間200円)とのこと。
詳しくは以下のリンクを参照して頂きたい。
市のOBかボランティアのようなご老人方に迎え入れられ、さっそく剥製とご対面。
横の馬車の展示を抜けて展示室へと入る。
個々の展示の解説はしないが、全体的な印象としては「思っていたよりも見応えがある」という感じだ。
じっくり見て歴史と文化に対する知識を深めたいところだったが、いかんせん時間が時間である。
屋根が斜めになっている部屋は、ちょうど記念館外観の「裾野(すその)」に当たる部分だ。
こういうところまでスペースをしっかり使っているのは感心する。
1階は主に「北海道の歴史と文化」に関する展示である。
階段で2階へ上がる。
2階は「樺太の歴史」にまつわる展示がメインだ。
これらの写真はぜひ覚えておいてもらいたい。
(というか後の記事でも掲載すると思うが)
これは、稚内公園の記事で街を見下ろしたときに見えた「北防波堤ドーム」の現役時代の姿だ。
かつてはこのようにフェリーの発着場として機能していたのである。
こちらも前記事の稚内公園に登場した「九人の乙女」に関する展示。
戦後の電話交換台しか用意できなかった辺りに苦心を感じる。
左は実際に自決した「九人の乙女」。
右はこの事件を描いた1974年の映画「樺太1945年夏 氷雪の門」のポスター。
事件現場となった真岡郵便局の外観写真。
左が終戦後のもので、割れた窓ガラスなどに戦火の匂いを漂わせている。
右の写真は戦前の真岡郵便局。
まだ外観もきれいで、日本語で書かれた「局便郵岡真」という看板が据えられている。
当時の業務風景と九人の自決場所。
写真の電信台が真岡郵便局のものか参考写真なのかわからないが、現地写真だとすればこの電信台の周囲で乙女たちは殉職したのだろう。
他にはこのような展示も。
木々の間に立つ、菊の御紋のついた将棋の駒のような石。
1905(明治38)年。
日露戦争後に日本とロシアの間でポーツマス条約が結ばれ、樺太の南半分を日本領とすることが決まり、このような標柱が国境に設置された。
日本側には日本語で(御紋の下に「界境」の文字)、ロシア側にはロシア語でそれぞれ境界であることを示している。
左側面にはロシア語で何か書かれているが、ロシア語はさっぱりである。
右側面には1906(明治39)年に設置されたことが記されている。
……と思いきや、偶然にも玄関で特別展示があり、標柱のレプリカが展示してあった。
先程のものは「天第四號」で、こちらは「天第一號」。
側面のロシア語の下に、四號では見られなかった数字らしきものが見て取れる。
ということは上のロシア語は「No.」のような意味を表しているのか。
裏面もバッチリだ。
ロシア帝国の国章を簡略化したような「双頭の鷲」の絵図(むしろ現在のロシア連邦の国章に近い)。
上のロシア語は「ロシア」っぽいが、綴りは「РОССИА」らしいので一文字合わないように見える。
下については「1906」以外さっぱりである。
(おそらくは「境界」的な意味合いだと思われる)
ではいよいよエレベータで最上階の展示室へと向かおう。
エレベータ乗り場は玄関の前にしか無いようなので、一度玄関まで戻る必要がある。
日立製エレベータ。
ボタンも1階と展望室のみというシンプルなもの。
自慢げにこんなものが貼ってあるが、海抜の高さで都庁に並ばせるのはズルい気がする。
建物自体は80メートルしか無いので、この写真比較もデタラメだ。
そんな事を言っているうちに緊張の展望室へ。
なんということだろうか。
エレベータを降りて目の前に広がっているのは、一面エメラルドグリーンの世界だ。
あっちもこっちもエメラルドグリーン。
霧が展望台の周囲を覆っており、そこにライトアップの光が散乱しているのだ。
映画「タイタニック」で、船長が操舵室に籠もったまま海中に沈むシーンを思い出していた。
カメラなので実際よりも明るく写っているが、光の当たっていない方面は深夜の病院並みの恐ろしさがあった。
地上を見下ろしても光しか見えない。
肝心の夜景はと言うと、霧に包まれているのでほとんど見えない。
これもカメラだからなんとなく写っているだけで、肉眼ではほぼ見えなかった。
とは言え、夜景が見れなくても不思議な充実感に満たされた特別な体験であった。
稚内観光で一番強く記憶に残ったのは、この幻想的な情景だった。
夜、誰もいない展望台で一人、エメラルドグリーンの光りに包まれる。
いつでも体験出来るわけではないだろうが、ぜひ一度感じてもらいたいものだ。
しばしの幻想体験の後、再びエレベータで地上へ。
受付に頼めばこんなものがもらえる。
「いくらだろう」と思いきや、タダで頂けた。
だがそれもそのはず。
B5くらいのサイズに白黒コピーした、しかもこの地図ではないもの(樺太の地図ではあったが)だったのだ。
イメージ的には小学校の先生が配るプリント。
しかし内容的には写真のものよりも良かったかもしれない。
欲しい方はぜひ稚内市開基百年記念塔の受付を訪れて頂きたい。
とにかくこの「塔と霧とライトアップのコラボレーション」は、稚内市で一番の感動だった。
似たようなアングルでも、つい何度もシャッターを切ってしまった。
塔の前は「文芸の小径」という遊歩道になっている。
道の脇に、地元の人が読んだと思われる句が看板となって並んでいる。
(※右の写真の石碑とは別)
道の先の展望デッキからの眺め。
写真には写っていないが、その辺に鹿が何頭もいた。
翌日訪れた記念塔。
やはり霧に包まれている。
これが文芸の小径と、その脇の句。
塔裏側あたりにある北方植物園。
広場になっていて、岩やら植物が配されている。
塔の真裏。
尾根伝いに、霧中の電波塔群が見える。
せっかくなので(?)行ってみることに。
路肩からの転落をも予感させる道路。
筆者は電波塔マニアというわけではないが、なんとなしに撮影してみた。
これがマニアの目に止まってもらえれば言うことはない。
奥は舗装が切れていたので引き返すことに。
振り返れば霧に包まれた記念塔。
この複雑な起伏を見ると、ここが「宗谷丘陵」の一部であることを思い知らされる。
実はこの宗谷丘陵も旅の目的の一つであった――――ということは、おそらく後の記事で触れることになるだろう。
おそらく様々な部門で「日本最北」を獲得しているであろう開基百年記念塔&北方記念館。
夜景を楽しめる日もそうでない日も、訪れた者に忘れ得ぬ体験をさせてくれることだろう。
稚内公園 望郷の慰霊展望台
翌朝に向けて眠りにつくにはまだ時間があったため、ダメ元ではあるが稚内公園に向かうことにした。
ちなみに翌日に再訪しているため、写真は昼だったり夜だったり見やすいものを使っている。
夜間手持ち撮影なので画が荒いものがあるが、ご了承いただきたい。
高台にある公園へ至る坂道はちょっとわかりづらいところにある。
まあ案内板に注意していけばなんとかなるだろう。
百年記念塔や展望台などを含めて「稚内公園」のようだ。
市営施設にしては珍しく午後九時まで営業。
夜景を楽しめることを考えてのことだろうか。
それがまさかあのようなことになろうとは……。
坂道は途中で丁字路にぶつかって2つに分かれている。
一方通行なので左に行くしかないが、右の道はグルっと回って展望台から出てくるだけの話だ。
が、このあと道を間違えて展望台へと向かってしまう。
事前調査が重要だ。
展望台に到着。実際はもっと暗い。
土産物店などは当然閉店。
日中なら結構人がいる。
アイスが美味。
展望台からの街の風景。
写真左側の一番大きい建物、その手前のあたりに日本最北にして終点のJR稚内駅がある。
そこにもあとで行く。
さきほどの写真の左端に見えた堤防。
碇泊している白い船の左側をよく見るとトンネルのようなものが見える。
あそこは「北防波堤ドーム」。
稚内の観光名所の一つだが、あそこにも後ほど訪れる。
暗闇の展望台で唯一ライトアップされていた「氷雪の門」。
樺太島民慰霊碑として地元の樺太出身者たちにより建立されたもので、中央の像は1963(昭和38)年に彫刻家の本郷新により製作された。
中央の女性像について、「顔は戦争の苦しみ」を、「手は故郷も家族も失ったこと」を、「足はその悲しみや苦しみから立ち上がる」ことを示しているとされる。
樺太で亡くなったすべての日本人のための慰霊碑だとのこと。
天気のいい日には像の背後に樺太(サハリン)が望めるとのこと。
この日は残念ながらよくわからなかった。
実は筆者の祖父は樺太の出身で、幼少の頃にソ連軍の侵攻によって命からがら北海道へと引き揚げてきたという経歴の持ち主だった。
筆者にとっては「単に日本最北を目指す」というだけではなく、ある意味で自分のルーツに近づくということが今回の旅の目的の一つでもあった。
文字通り「着の身着のまま」逃げ延びた北海道で、人の親切心や食べ物のありがたさをよく実感していたようだ。
まったくの「ゼロ」から身を興して家を築いた祖父は、筆者が歴史上で最も尊敬する人物だ。
先見性に優れ、義侠心にあふれていたそんな祖父は数年前に亡くなったが、「ソ連が憎い」とか「樺太が恋しい」とか、そんな言葉は一切聞いたことがなかった。
ただひたすらに家族のため、人のために働き続け、80余年の生涯を全うしたのだった。
こちらは展望台から東を向いた写真。
本当の日本最北端、宗谷岬を一望する。
こちらは有名な「九人の乙女の像」。
とはいえ、自分を含めもう知る世代も少ないかもしれない。
1945(昭和20)年8月20日、ソ連軍が樺太の真岡(まおか)へ侵攻。
業務で真岡郵便局に残っていた女性電話交換手12名のうち9名が青酸カリなどを用いて自決、殉職した。
いわゆる「真岡郵便局事件」。
「北のひめゆり」とも呼ばれ、後に映画化もされた。
そんな彼女らを偲んで建立されたのがこの「九人の乙女の像」だ。
碑には端的に書いてあるが、実際の最期の言葉は少し違う。
以下に稚内市HP観光情報「『九人(くにん)の乙女』の物語」より一部を引用する。
同じ樺太にある泊居郵便局長は、当日の状況をこう話しています。
「午前6時30分頃、渡辺照さんが、『今、皆で自決します』と知らせてきたので『死んではいけない。絶対毒を飲んではいけない。生きるんだ。白いものはないか、手拭いでもいい、白い布を入口に出しておくんだ』と繰り返し説いたが及ばなかった。 ひときわ激しい銃砲声の中で、やっと『高石さんはもう死んでしまいました。交換台にも弾丸が飛んできた。もうどうにもなりません。局長さん、みなさん…、さようなら長くお世話になりました。おたっしゃで…。さようなら』という渡辺さんの声が聞き取れた。自分と居合わせた交換手達は声を上げて泣いた。誰かが、真岡と渡辺さんの名を呼んだが二度と応答はなかった」と語っています。
引用ココマデ。
職に殉じた敬うべき人々の最期の模様だが、こういった人々のことを学校で教えてもらえなかったのは何故だろうか。
1968(昭和43)年には昭和天皇と香淳皇后がこの地を訪れ、のちに御製と御歌と詠んでいる。
他には南極観測で活躍した樺太犬たちの慰霊碑などもある。
かつては麓から伸びる「稚内公園ロープウェイ」があったというが、訪問時よりちょうど10年前の2006年3月いっぱいで廃止されたという。
乗車時間二分程度。日本最北にして日本最短のロープウェイだったらしいが、現在は何の痕跡も残っていないようだ。
百年記念塔の少し下の斜面にはスキー場リフトもあったようだが、こちらも2006年に廃止されて何も残っていない。
百年記念塔と一緒の記事にしようかと思ったが、長くなりそうなので次回に回すことにする。
かつて日本であった近くて遠い大地に思いを馳せ、天候に恵まれた日にはその目で見ることが出来る稚内公園に、ぜひ皆さんも足を運んでみてはいかがだろうか。
もう一つの北端 ノシャップ岬
いよいよ日本最北端の町、稚内市へと足を進める。
まず最初に訪れるのは日本の北端の一つ、ノシャップ岬である。
最北端ではなく、あくまでも「北端」だ。
位置関係を見てみよう。
恒例のGoogleMap。稚内市の北部を拡大したものだ。
左の半島の先が、件のノシャップ岬である。
右上に伸びているの半島の先が、日本の『最』北端である宗谷岬だ。
市内の道路標識には日本語・英語・ロシア語の表記がある。
宗谷海峡を挟んでわずか40km先には、ロシアが実効支配している(国際法上はどこにも帰属していない)サハリン(樺太)がある。
フェリー便も出ているということで、歴史的な背景は別として、距離による関わりが強いのだろう。
市内から台地の上に見える「稚内市開基百年記念塔」(右側)。
霧の中でライトアップされ、サイリウムのように光っている。
ここは次か、その次の記事で紹介する。
ちなみに日本最北のコンビニエンスストアはこちらの「セイコーマート えびす店」。
北海道外の方には馴染みがないかもしれない(茨城と埼玉には進出しているらしい)が、北海道で最強と言ってもいいコンビニである。
※国内コンビニ顧客満足度ランキングは2011年から4年連続1位だそうだ。
小規模なスーパーのような品揃えで、野菜なども売っている。
また、店内調理施設「ホットシェフ」の満足度が非常に高い。
揚げ物や丼モノを始めとした温かいメニューが保温ガラスケースの中に作り置きしてあり、客はそこから好きな商品を取り出してレジで会計する。
筆者のオススメはフライドチキン。
味・量ともによし。なのに300円でお釣りが来る。
ぜひ道外の方が北海道にお越しの際は、セイコーマートを利用してほしい。
あえて苦言を呈するなら、「24時間営業の店舗が少ない」ということ。
そして、「どの店舗にもホットシェフが存在するわけではない」ということ。
夜中に小腹がすいたから近くのセイコーマートに行ったらホットシェフが無かった……というか店自体やってなかった、ということがままあるのだ。
そして到着したノシャップ岬。
中央のイルカのモニュメントは「宗谷海峡をイルカが通過した」という伝承に基づくらしい。
実際はもっと暗かったので、露光時間を上げてみた。
これは上げすぎて昼間のような明るさに。
カタカナで表記されることが多いが、漢字の「野寒布岬」という表記もある。
ちなみに北海道の最東端である根室の岬は「納沙布岬(ノサップ岬)」と、非常に似た名前をしている。
どちらかの岬に行きたくて道を尋ねるときには注意しよう。
間違って約400km離れた別の場所に案内されてしまうかもしれない。
宗谷海峡の夕景色。
いくぶん風が強い。
ノシャップ寒流水族館の灯台。
となりには稚内市青少年科学館がある。
短いが、これでノシャップ岬の記事は終わり。
次は先程の「開基百年記念塔」のある稚内公園の記事か、別の稚内市内の記事をあげようと考えている。
また、今まさにゴールデンウィークの旅の出発の直前にこの記事を書いており、またしても新しい記事ネタが溜まってしまうことになる……。
さらに更新頻度をあげていかなくては。
ではまた次回の記事で。